2020年10月26日月曜日

おかしくはないか、太陽光電気が10円/kwhになってもなお、賦課金を払わなければならないことを。かたや、原発電気はその2倍もの価格で普通に買い取られることを。東海第二原発電気の買取単価と太陽光電気の回避可能費用は何故、違う。再エネ賦課金が原発継続のために流用されている。 太陽光発電は原発を完全に代替出来るほど安い。太陽光発電を振興する施策、実は全て原発延命のため。。

 東電は昨年6月25日の株主総会で、日本原電から東海第二原発の電気を買い取る経済性について、たんぽぽ舎の山崎久隆氏に「買い取る目算は有るのか」と質問され、「日本原電が提示した買取単価より高いコスト単価の電源が、置き換わる自社の火力発電の中にまだ有る。」 と答えた。 

 東海第二原発よりも高い火力の電源が自社に有り、それに置き換えて損は無いから買う。 財務的にも支配力的にも東電の一原発に違いない日本原電の原発を再稼働するというわけだ。 

 (動画1) たんぽぽ舎 山崎久隆氏の東電株主総会の報告「六ヶ所村再処理工場〜新規制基準ー審査書案ーでは何が問題か(2020.7.4)」中の 2:18:23から2:26:57の間  

 

 火力の中で一番高い原油火力の一般的コストを推算すると、2020年、kwh当たり24円( 2015年の発電コスト等検証ワーキンググループの原油火力コスト37円/kwhの内、6割を占める燃料費の原油が100$/blから40$/blへ低下したことから推定した)。  
 東海第二原発電気の買取単価は、東電は公表しないが、NPO法人原子力資料情報室の松久保肇氏に依るとkwh当たり22.7円(福島事故で止まってからの維持費を補填するため、東電が8年間に払った基本料金は2022年12月稼働後の電力料金の前払いに他ならないことから含める) 
 しかし、大手電力会社が、固定価格買取制度の下で太陽光電気を買い取る時の買取り単価は、2020年度、kwh当たり5.4円である。
(参考文献1)NPO法人原子力資料情報室「東海第二原発の再稼働は電力消費者に資するか」(2020.2)  
 太陽光電気は、電源設備コストをかける必要と価値が有るから作る。そのコストは「固定買取価格」と同じ。そのコスト単価が大手電力会社に買われる価格より高いから、その差が賦課金で補填される。その買われる価格が「回避可能費用」(単価)。
 東海第二原発電気は、福島事故で止まった後、次のコストをかける必要と価値が有ると言い作る。東電の資金支援金が使われる追加安全対策工事費(単価相当6.8円/kwh)、福島事故後の未稼働中にも収受する電力料金(3.5/kwh)、福島事故賠償の一般負担金(0.7/kwh)の三つのコスト。買われる価格は、残りの稼働可能年数16年で、これらを、回収できる単価を事故前の料金11.7円/kwhに上乗せした単価(事故前の料金は既に償却が済んだ2005年度から2010年度の平均)。  
 今、太陽光発電の産業用低圧50kw以下の「固定買取価格」は12円/kwh。太陽光電気のコストが東海第二原発電気(22.7円/kwh)のほぼ半分に下がっても尚、このコストを払うために東電は国民から6円/kwhほども賦課金を徴収している時に、原発電気なら2倍ものコスト通り払って、原油火力より安いから買い取ると言う。
 太陽光電気の 「回避可能費用」は、太陽光電気を買い取り入れることにより本来、予定されていた発電を取り止めることにより支出を回避し免れる費用。「回避」とは、東海第二原発電気が「置き換える」ことと全く同意である。この回避可能費用の算定基準は、従来は全電源平均可変費や火力平均可変費の原価ベースだっやが、2016年4月の電力全面自由化に合わせ、河野太郎氏も異議を呈した通り、市場価格連動(卸市場価格)に変わった。太陽光電気は変動電源なので、一番高い限界的電源の火力発電の可変費を回避しているから、また、新電力が卸市場から調達する時の価格であり整合するという理由だった。改訂の当時、市場価格が従来基準の原価ベースより高めに推移していたこともあった。しかし、日本卸電力取引所の月平均価格は、固定買取価格制度が始まった2012年以来、いずれの年も、原油火力の可変費にも達することなく推移し終始した。卸市場価格は電気が余る中では限界的電源の原油火力の可変費を越えないのが常態だと分かる。卸市場価格を昨年末から年初にかけて起きた価格急騰のようなことを無くして、玉の出し手の大手電力会社は低く抑え保つことも出来る。太陽光電気が市場に余らされ自らの価格を侵蝕することもある。尚、新電力の調達コストは市場価格によりただ低くなれば良いが、そうではなくて託送料に大きく左右される。 
 (参考文献2) 河野太郎氏著 河野太郎公式サイト「ぼったくりを無くせ」(2014) 
 回避可能費用はどう見るべきだろう。太陽光電気が何を回避してきたか。福島事故以来、原発の廃炉や停止を火力発電と共に埋め合わせ、原油火力可変費というよりも、原発を置き換えてきたのではないか。原発が算定基準に反映されたと考えられるのは、当初2年間の全電源の平均の中の一部、しかも可変費だけという僅かに過ぎない。使用済み燃料を資産計上する原発の可変費は安い。また、固定費と可変費を合わせた総コスト は10.1円/hwhと言われてきた。「回避可能費用」は、正に東海第二原発電気の買取価格22.7円/kwhであり、少なくとも、福島事故停止後の未稼働中の料金は除いた、15.9円/kwhに減価償却を含めたものである。 
 東電は賦課金を不正に貰い過ぎていた。国民から余計に貰った賦課金の総額を、東海第二原発電気の買取価格15.9円に減価償却を加えたものを回避可能費用とし、適用された回避可能費用との差 
東電に聞いても教えてくれなかったが、各年の太陽光電気買取量について算出すると総額1.3兆円。因みに、固定価格買取制度が始まった2012年から8年間の東電の太陽光電気の累積買取量は1000億kwhに対し東海第二原発電気の年間発電量は62億kwh。 因みに、この賦課金総額の内、原油火力可変費を回避可能価格が下回る部分は 千億円。 

一番高い電源でなく原発に、置き換え対象を変更 

原発置き換えの太陽光 に対し ましてや、それより高い東海第二原発電気を入れる とんでもない 10.1円tぴってきた。

 何に使われたか。隠された資金は、何時も、隠したい或いは不適切な原価や支出に充当される。原発電気はkwhあたり10.1円しか掛からないと、兼ねてから言ってきた東電は東海第二原発電気を愈愈、買い取る段になって、その、かけ離れて高い価格を公表しない。原発の総括原価方式下の今の経理にはキャッシュか費用かの区別は重要ではない。賦課金を余計に貰った資金は、原発の再稼働に備えて待つ支出や費用に充当された。管内の太陽光電気の買取りを殆ど独占し、東海第二原発のように金を掛けた原発電気を、買わなくても作る他の大手電力会社も東電と同様である。福島事故の直後、原発に代わるエネルギーの普及のためならやむなしと国民が負担を受け容れた再エネ賦課金の相当な部分が、太陽光発電の普及促進でなく原発の継続のために流用されている。賦課金のこうした間違いを改めることは、単に電気料金に振り替わるだけではない。太陽光発電は格段に安いことが正当に認知評価されると同時に、原発は隠されたコストがあぶり出される。賦課金が原発へ流用された上、今、原発コスト22.7円/kwhで再稼働されようとしている。  

 

 再エネ賦課金は、国民が福島事故で、只、事故で止まった原発の電気を補うだけでなく、このまま原発をやめられるならと、その負担を受け容れた。「固定買取価格マイナス回避可能費用イコール賦課金」の固定買取価格が高かったのは当初2、3年だけで、回避可能費用が安いから賦課金が高い。回避可能費用に対して、特に新電力ができるまでは、総括原価方式の中で賦課金は電気料金との振り替わりという諦めの気持ちもあった。それでも、原発の再稼働さえしなければ、させないという気持ちもあった。しかし、国民の原発代替の願いを託した、原発再稼働に備えた維持費に流用した上、原発を代替してきた賦課金を無いものかの如く東海第二原発を再稼働しようとする。原発に流用された上、今頃、27.2円/kwhと白状する。国民は踏んだりを蹴ったりである。原油火力より安いコスト単価を突きつけられ、再稼働すると言われれば話は違う。ならば、回避可能費用は正に東海第二原発電気の買取価格22.7円/kwhで、回避を行使せざるを得ない。そうすれば、賦課金は無いばかりか、固定買取価格12円/kwhを超える10円/kwhほどの賦課金が国民に返還される。今から振り返れば、福島事故後、原発が再稼働している時に回避可能費用を原発コストにすべきだった。ただし、10.1円でなく真のコストに。原発のコストは分からない。「回避可能費用」も分からない。原発が回避される結果なら、それでよしだった。東電は国民の気持ちに漬け込見続けたが、馬脚を露わした今こそ。  

 

 

 


原発に流用した賦課金でもって太陽光発電は高いという

FIPで流用される賦課金の延命を図る。FIPとは市場連動を一年単位から月単位への変更に過ぎない。流用を市場が隠す。

太陽光潰しのようなこと、いや、潰しが、原発を生かすために行われている。

原発は変動電源の再エネ導入の邪魔をする。 
 (動画2) 総合資源エネルギー調査会基本政策分科会第30回2020年8月26日) 松村敏弘委員の意見 12分0秒から20分3秒の間
 第6次エネルギー基本計画の策定の初回会合における松村委員の意見からも分かるように、エネルギー基本計画は太陽光発電は賦課金の負担が大きいからコスト高とする。今後も、太陽光発電が増えると賦課金負担が増えると言う。しかし、これは完全な間違いである。付加金のコストは埋没原価であり。今後の太陽光電気には一切関係無い。それよりも、「固定買取価格マイナス回避可能費用イコール賦課金」の、賦課金が増えるのは回避可能費用が不当に低いからである。固定買取価格が現に12円/kwhと電気料金や原油火力の半分以下になっても、賦課金が何故要るのかをおかしいと思うべきである。固定買取価格が高過ぎたのはFIT導入当初2,3年だけである。その後は、その時々の太陽光発電コストとしては、固定買取価格と一致するものである。本当の「回避可能費用」を固定買取価格が下回ったある時点から、太陽光電気をコスト通り買って、太陽光発電がいくら増えても賦課金が増えることはない。 負の賦課金、即ち戻してもらう賦課金さえ発生している。 太陽光発電は原発を完全に代替出来るほど安い。太陽光パネルは韓国や中国製品を買えば良い。20年ではない。40年間自分のものである。
 太陽光発電の電気を、一旦連系線に繋ぎ込むと、系統全体の同時同量、周波数維持のルールに従う必要が生じる。それが、即、地産地消の電気をわざわざ離れた一極集中発電所に渡し、そこで他の電源と十把一絡げに扱われ、賦課金を生じることと、送り返して貰い託送料が掛かることと根は一つである。これに乗じて賦課金で原発の便宜を図る資源エネルギー庁は流石に後ろめたいのか、今頃、盛んに自家消費を薦める。太陽光が発電した場所で本来固有の価値を生かして使うことである。送電容量も使わなくていい。必要なら最低限の末端の配電網を解放して貰ってもいい。太陽光電気のこうした試みや生かし方を新電力と自治体に委ね任せるべきである。太陽光を広める眼目は、電気自動車へ太陽光発電所から直接の給電と、太陽光発電の設置場所を工夫し、敵地を拡大する二つでわる。全国の電気自動車が大きな蓄電池になり太陽光発電の変動性の難が解決する。太陽光発電の適地不足はゴルフ場を、放っておいて嘘である。まだまだ、工夫をすれば、いっぱい敵地は有る。日本の各家庭が、屋根上に太陽光発電と電気自動車とエコキュートのセットを持てば、簡単にエネルギー事情が変えられる。太陽光発電量に応じて給電し、雨天や夜には給電しないのでデマンドレスポンスが完璧になる。航続距離は少ないが、老齢化社会に合わせて鉄道を利用すればいい。燃費はガソリン車の10分の一。将来は商業輸送用には交換式バッテリー或いは、充電不要な屋根搭載太陽光パネル車も間近である。電気自動車の走行中だけでなく、その動力獲得においても原発電気を使わないCO2削減効果が完璧になる。原発電気を使うからと電気自動車に反対してはいけない。その普及と太陽光発電とのシナジー効果を追求することが、原発電気を駆逐する強力な方法になる。災害、非常時或いは戦時に一極集中発電所からの送電が途絶えても、太陽光電気を、分散したその場で使えまた、移動し持ち届けられる。 
 原発無しでやるには、太陽光発電の格段の導入拡大が必須である。それが出来るのも太陽光発電だけである。だから、政府と電力会社は原発の便宜のため太陽光発電の普及を妨害する。再エネの2030年の目標電源比率22%の半分近くは、福島事故以前に既に在り、しかも原発と調整電源として利益相反する揚水発電も含む水力であり、いまだ、太陽光発電は7%にも達しない。風力は1%以下である。工夫すれば地方と共生しながら設備設置の適地はいっぱい有る。駐車場、倉庫、営農型、鉄筋コンクリート建造物の壁面や屋上、まだパネルの付いていない一戸建ての屋根もいっぱい有る。ましてや、屋根や壁の代わりにもなりうる。エネルギー基本計画は「S+3E」の各項目の評価を、原発については真反対に間違えている。 安全性Sは、安全とは言わないで、適合基準に合っているかどうかを見ているだけと言っている原子力規制委員会に安全を丸投げしている論理破綻を臆面もなくしている通りである。安定供給性のEは、国民に支持されていないこと、事故や差し止め判決がいつあってもおかしくない、一つで全てが止まることは不安定の最たるものである。資源エネルギー庁は太陽光発電の適地不足を論うが、原発が周り一帯に人が住めないこと、一旦、事故を起こせば土地の喪失さえ起こることは言わない。経済性のEは
 
 太陽光発電は戦争しなくていい電源である。太陽光発電と風力発電は有り余る自由財を原料とし確立し脚下に在る技術である。外に求める必要の無い自給自足のエネルギーである。確立していない技術を総花的に、多様化を追う必要は無い。水素は電化の叶わないエネルギーの脱炭素において功を奏すもので、原子力発電を代替する効果においては太陽光発電に遠く及ばない。グリーン水素は再エネ変動電源の蓄電池としての意味以上のものでは無い。また、依然、原料を外に求めなければならない。原発は一旦、攻撃対象になれば脆弱だ。原発運転が電気の生産よりも「再処理」が目的かの如く、原発が、「再処理」の原料を生産する上、「再処理」の産出物のプルトニウム消化のMOX運転を担う。全てリスクの倒錯だ。原発代替を目指し、太陽光発電に投資を絞り、どこまで出来るか確かめなければならない。2050年の脱カーボンは脱原発とのセットでなくてはならない。どちらか一つなら、脱原発でなければならない。そうでなれれば、放射能よりもCO2を怖がるという、脅威の軽重の判断と防御の優先順位の分別 における倒錯である。