2017年2月28日火曜日

「もうこれっきり」の忘却

       
福島の事故コスト負担を誰がするかばかり取り沙汰され、その時、それが今後も繰り返されるものかどうかは話題にすらならない。
放射性廃棄物は、原発を止めても既に膨大な量が溜まっている事実がある。だから原発を止めようが止めまいが廃棄物処理の問題は変わらないとなる。
除染が済んだので、復興したので、避難解除せよと言う。帰還先になお原発があり続けるかどうかについては触れられない。
しかし、福島限りの事故で廃棄物も「もうこれっきり」であれば、我々は負担と廃棄物を引き受け、帰還者も増えるのではないか。「もうこれっきり」であれば、政府が言っている以上に手厚い被災者への賠償を、税金や電気代で惜しまず負担するのではないか。
避難訓練、ヨウ素剤配布、原子力発電所の安全性は万全だ。よし、再稼働しようとなる。いつのまにか「もうこれっきり」を譲り放棄した上でのことがどこかに忘れ去られている。
一般電力が潰れる、原子力産業が衰退する、電気料金が上がる、経済が不振になる。核保有の望みが絶たれる、新興国の原発は日本の輸出でなければ中国、韓国に牛耳られ米国に怒られる。だから再稼働しなければとなる。大飯の再稼働の「電気が足りない」はもう無い。これらは、「もうこれっきり」を放棄してまでしないでも他にやれることはいっぱいある。
我々は、政府と官僚の何が何でも原発継続貫徹が土台にある諸施策の内容の欠陥と不正を衝くことに終始することなく、土台から変えるよう「あなた方が我々に負わそうとする以上の犠牲を喜んで引き受けます、もうこれっきりにしてくれれば」と声を大にして言おうではないか。被災者と手を携えて。