2019年10月5日土曜日

太陽光発電の失政

3.11後、今後のエネルギー政策を考える時に、原発をやめられるならやめたいという切実さが足りなかった。そのことが原発に代わる電源種の切実な追及もなく、総花的電源種を許し、太陽光や風力で世界に逆転され取り残される、中途半端を招いた。
原発が無くても、エネルギーは当面の火力の増加で十分凌げることを見越し、最も可能性の高かった太陽光発電に絞るチャンスをみすみす逃がした。賦課金が累計的ミニマムになるようゆっくり、慎重に普及することができなかった。賦課金の増大が太陽光発電の普及の足枷になるパラドックスに陥ってしまった。原発をやめなければという熱意さえあれあば、FITという市場原理に任さず、国が自ら太陽光発電を計画的、経年的にやる方法もあった。国民は賦課金という将来電気代となる確定債務を背負ってしまったが、今からでも取り返しが効く。
取り付けた家庭だけでなく、太陽光発電所の周りの家庭で自家消費すれば、電気料金の方が固定買取価格を上回る平成2015年度、固定買取価格適用分以降分(住宅用は2018年度)は、すぐさま卒FIT出来る。一般電力会社に回避可能価格で買い取って貰わなくとも、ほぼ電気料金で近所の家庭に売電出来る。電気代が上がる将来は割安価格も可能だ。
送配電線に乗せないで、自営線によるので周波数問題もない。一般電力会社が2014年以降、送配電線への投資を減らしていることとも整合する。野立ての場合、ケーブルで引いて各々の家庭にコンディショナーを移せば、災害停電時、自立運転も可能だ。また、九州電力のように太陽光発電を抑制することもない。
せっかくの分散電源を一極集中発電に取り込むのでなく、生産だけでなく消費の面からも真の分散電源として活かしさえしたら、災害停電時の日中に電気を供給でき、太陽光発電電気を抑制なくフルに生かせ、何よりも賦課金総額が大きく減らせる。一席三丁である。