2017年7月22日土曜日

ミサイル、原発より東京に落とした方が

7月6日、原子力規制委員会の田中委員長は福井高浜町の住民に北朝鮮のミサイル攻撃の対策について聞かれ、「原発を狙うより東京都のど真ん中に落とした方がよっぽどいいんじゃないか」と述べた。この論は北朝鮮の脅威と原発を切り離すため既に巷でよくされていた。
「飛行機墜落事故や交通死亡事故があるのに飛行機や車は無くならない。同じように原発もなくさなくてよい。」と3.11後、原発容認論者が、よく言っていたが、田中発言にはこれと同じ論理が根にある。これらの被害の確率や量が原発より多いことを彼らは言い募る。それがどうあれ、原発事故の被害の性格はこれらとはっきり違う。これらは当たった現在の人を傷め殺すだけだが、原発事故は放射能で予期させずじわりじわりと人を傷め殺し、生き地獄にもする。そして決定的な違いは、子孫をも同じ目に合わし更に子孫の土地や自然を喪失することである。生態系が全く受けつけない危険物を出し回復できないのである。国破れて山河無しなのである。確率や量の大きさは無関連で、東京爆撃と原発事故は比べられないのだ。
田中委員長はこの「比較不能性」を「不適切」に擦り替え撤回することで、原発の危険をはぐらかし対策しないことを合理化し、国民はそれになんとなく納得してしまっている。
我々は、原発の次世代へ及ぼす影響には目を瞑り未だ安全神話に住している。
近い国では福島事故を見て台湾、韓国が脱原発に向かう中、自分達の世のみ見て原発維持と輸出を続ける政権に委ね任せる日本国民は、おおらかなどではけっしてなく子孫を大切に思う心、所謂「種の保存本能」が世界で最も希薄な国民ではなかろうか。
 今後、同類の紛争に備え対策費用をかけて原発を続けるか、やめるかの判断だけは今しなければならない。