2018年8月8日水曜日

エネルギー基本計画の五つの擦れ違い

 今年の7月3日に閣議決定されたエネルギー基本計画の内容は国民の意見と、殆ど噛み合っていない。国のエネルギーに関する長期方針が、こんなことでよいのだろうか。政府、官僚、電力会社の方針だからよいとでもいうのだろうか。「パブリックコメント」は資源エネ庁の会議室で、それと経産省の考え方の対照表及び、策定中募集された「意見箱」はホームページで読んだ。そして噛み合っていない原因を考えて見た。五つの擦れ違いが有ると思う。読んだことを咀嚼して自分の思うことも書いた。


 視点として3E+Sの設定し、安全性のSを大前提に三つのE、即ちエネルギーの安定供給、コスト低減、温暖化対策に最大限取り組むようエネルギーミックスを決めるという。一番大きな擦れ違いは安全性の視点Sの用い方である。経産省は、安全性Sを除く三つのEの視点から原発は欠かせないという評価を出しその後、原発の安全性の担保を原子力規制委員会の規制基準に委ねている。それに対し大多数の国民の意見の根底に有るSの視点の用い方は、原発無くても電気は足りていることに鑑み、三つのEが持ち堪えられる限り原発ゼロを目指し、三つのEがどこまで持ち堪えられるか、持ち堪える方法や努力の仕方の必死で切実な検討である。大半の国民の意見を見れば、どんなことをしてもやめてほしいと言う魂の叫びである。廃炉に必要なお金は日銀券増刷分を当ててもいいと言っている。放射性廃棄物の処分の引き受けを国民に迫るなら、その前に、動かすことより廃炉に専念してほしいと言っている。福島事故後、事故は起こることを認めてから特に、人間が原発を安全に扱えるか、原発の危険に対するに足る覚悟が出来るかを問題にしている。
 私はかく思う。安全神話に隠されていたものは、扱いにくい原発の危険に、人間固有の懲りない杜撰さ、あさましさ、弱さが合体する危険である。忖度したり自分の経済に負け優先させてしまう弱さである。周りに安全と言えば言うほど、その内、自分でもその気になり安全の備えを怠るモラルハザード。人間のための原発のはずが、いつの間にか人間の尊厳を原発の下位にして、しかもその事に気づかない弱さ。戦争状態に陥る弱さも含めてである。
原発を容認する人々の意見を読んで思うことは、彼らは福島で分かった原発事故の無力と悲惨に知らず知らず、目を背けているのではないか、安全を考える上でのスパンが短か過ぎということである。

 二番目は、原発のコストの捉え方のすれ違いである。経産省は原発のコストを電気料金を構成するコストの範囲で考えているのに対し、大半の国民は電気料金に拘らず、原発の真のコストを問題にしている。
 原発は不確定で、長期的で未知で、金額換算しにくいコストが多い。これらは、三つの指標の間に落ち結局は取り漏らされている。手当てしようのあるもの、いや、したものだけをコストと言っている。
 健康被害や自然破壊は取り返しが付かない。分からない放射能の影響を心配するのもコストである。帰還できないでいる事を見ても、ひとたびの汚染は土地の喪失である。運転の都度発生する使用済み燃料は、準国産でも資産でもあろうはずがない。その処分コストは誰もが受け入れないほど大きい。ましてや子孫の迷惑は端から忘れられている。
 現世代に請求できるコストに限らざるをえない電気料金には、これらの多くが含まれない。洩れたコストは、将来世代に付け回されるか支払われない賠償金のように代償されないだけで、無くなりはしない。
 私はかく思う。経産省は、これらのコストを、国民の過剰な懸念のせいにする。だから、懸念を解消するように社会的信頼を獲得することを、ここぞとばかりに基本計画に盛る。福島事故の被害を少しでも小さく見せることに窮久としているのに何をか言わんやである。そして、ただ、少しでも安い電気料金の提示と引き換えに国民に信頼を強要する。

 第三は、太陽光・風力は当然、温暖化対策に当然資すると考える大半の国民の意見に対し、経産省は変動の調整のため火力を伴い、単独で脱炭素化は出来ないと考えている。
 しかし、太陽光・風力の電気が置き換わるのは、一定発電の原発ではなく今、発電している火力である。間違いなく、置き換えられた火力のCO2は減る。追加的に火力発電を伴うことは無い。太陽光は晴れの時は需要カーブに合った発電をする。そしてその割合を上げる手段は多く、コジェネや揚水発電等の脱炭素化電源で調整する手法、発電した所で出来るだけ販売する方法もある。やる気があるかどうかである。
因みに、きめ細かさの違いはあれ、調整を要するのは、出力制御できず単独では需要に合わせられない電源の仲間である原発とて同じである。緊急停止に備えた予備火力も原発は要る。原発だけがベースロードという特権を与えられ火力の調整幅を喰う。太陽光・風力賦課金という犠牲を払っても促進している。燃料費の何の節減にもならない太陽光・風力を抑えないで、古いベースロードという考え方よりも柔軟性の確保の方が大事だ。ましてや、運転中に漏出する放射性物質の有害度はCO2どころではない。発生熱量の3分の2を温排水という形で海に流し地球を温めている。


・原発は放射能を出す電源だという国民の意見に対し、ゼロエミッション電源として環境の観点から何も欠点を言わない経産省の意見233ページ
発電時以外のウラン鉱山 温排水









資源豊富国    一回目 原発ゼロの会 214ページ

ドイツ 脱原発、石炭に野心的に取り組んでいる。

・石炭火力について
・テロ、戦争に対する不安
東大法学部     しっかりしろ 大手電力会社

2・24  40ページ  到達可能ミックス 東電原発 東京都の責任  沖縄と同じ構図 柏崎狩羽も親切も難しい

資源国かいなか

原発クリーンエネではない

テロの備えをすると 原発の建設コストが2倍以上になること。
2、クリーンエネルギーのコストはどんどん安くなって、原子力よりも火力よりも安くなったこと。
3、原発は海温め装置であり、地球を温めている元凶の1つであること。

11月14日、東京新聞の2面トップ記事


 第四は、太陽光・風力のコスト認識の違いである。世界的な急速なコスト低下と普及拡大に、日本も、と大いに期待する大半の国民の意見に対し、資源エネ庁は賦課金の国民負担をコストに含めて捉え、その依然高いコストの低下が課題と言う。
 しかし、買取価格は20年間変わらない。それを補填する賦課金支払いも20年間変わらない。従って、賦課金は、今後の太陽光のコストには埋没原価であり導入ポテンッシャルには無関連である。経産省の言い振りは、再エネを促進するインセンティブを阻害要因に変えてしまう自己否定である。そして、日本の太陽光のコストは海外パネルを使い低下が著しく既にグリッドパリティーの半分に達している。

 私はかく思う。その賦課金を抑えることは、むしろ経産省、自らが負う課題である。経産省が自ら招いた制度初期の冗長な賦課金の認可未実施分の淘汰のことではない。
太陽光の発電され自家消費された残りの電気は、逆潮流といっても送配電線
の僅かを通るだけである。

既に決まった賦課金については、太陽光発電者が電気を送電線に送り込まず、その場で販売出来れば、託送料が掛からない分、今からでも減らすことが出来る。
今後決まる賦課金については、日本の太陽光のコストも海外パネルを使い低下が著しく既にグリッドパリティーの半分に達している今、固定価格買取制度に依らなければ、賦課金が無くなる上、電気料金より安く売ることも可能である。それを、送配電線を僅かに使っているがために、一般電力を助けるようにFITに依っている。送配電線を使う影響は需要の変動とも言える。発電した所で販売すれば文句無くFITを離れられる。例えば、借家人や近隣への電気販売の自由化、電気自動車への給電である。この方向で経産省は施策してほしい。尚、電気自動車は強力なデマンドレスポンスのツールになる。

 資源エネ庁は第三、四の考え方から、2030年の発電シェアを、原子力と再エネを合わせたゼロエミッション電源44%の内、太陽光を7%、風力を1.7%とした。太陽光の現時点の発電シェアは6%弱に達し認可済み案件の一部を含めれば7%を既に超えている。今後12年間の伸び代が、あろうことかマイナスである。
 私はかく思う。せっかくコストをかけ促進している再エネに抑制をかけなければならない政策矛盾が将来どうなるかわからない原発の枠取りの為に行われている。これがべースロードということか。送電でも。CO2削減目標に達しそうにない時、待ち構えて居さえすれば、あわや原発の再稼働と、許されるとでも思っているのだろうか。

第五は、大半の国民の核燃料サイクルはもうやめようという意見に対し、経産省は継続するという。もんじゅの廃止が決まったら、今度はプルトニウムを減らすため、MOX燃料による軽水炉でのプルサーマル運転、即ち原発の再稼働をすると言う。かと思いきや減らすべきプルトニウムを使用済み燃料から取り出す再処理もやめず、MOX燃料にし軽水炉で利用するという。本末転倒である。
 私はかく思う。この計画は再稼働を必然とすると言うが、使用済み燃料の問題を隠す。バックエンドも安全神話の加護の元にあったではないか。バックエンドについて、原子力規制庁の安全性Sの視点からの検討はされていないではないか。




・策定中募集した「意見箱」
・基本計画(案)に対する「パブリックコメント」
・比較表も






安全神話から醒めたと事故を想定し、それをEの一つのコストに見積もり、安全性Sの検討は安全だと言わない規制基準に委ねた。この基準は安全だとは言わない。見積もったコストはおざなりだが、安全が経産省の言うコストだとは認めていない。
安全を分断し、お金、しかも今負担可能、測定可能、お金に換算するトリックである。
安全性を経済合理性に解体し

・2014年、前回の基本計画策定から3年間の情勢変化は無いとする政府に対し、大きく変わったとする国民  (3,26意見2/3)  一回目 原発ゼロの会
ネット 事故後の惨状
経産省は安全神話に醒め、福島級の事故を4000年炉に一回起こるとしてコストに参入してよしとした。福島事故の惨状が明らかになりその重さは当時より大きくなった。今では一度でも福島のような事故が起こってはならないと今は思っている。


使用済み燃料もプルトニウムも、減らすのは再稼働をやめること。
再稼働、サイクル、再処理  ーーー同時に止めるもの


規制委員会の判断に委ねる 再稼働申請に対し必ず許可の予め想定 越権行為 原発22%  if 火力削減 結果としてzeroemi 44%以上むしろ歓迎

石炭火力 原発でCO2相殺

40%ぐらうなら今の電力システムでも 太陽光、風力

再エネ賦課金 火力の減で国民負担になっていない