2020年10月26日月曜日

おかしくはないか、太陽光電気が10円/kwhになってもなお、賦課金を払わなければならないことを。かたや、原発電気はその2倍もの価格で普通に買い取られることを。東海第二原発電気の買取単価と太陽光電気の回避可能費用は何故、違う。再エネ賦課金が原発継続のために流用されている。 太陽光発電は原発を完全に代替出来るほど安い。太陽光発電を振興する施策、実は全て原発延命のため。。

 東電は昨年6月25日の株主総会で、日本原電から東海第二原発の電気を買い取る経済性について、たんぽぽ舎の山崎久隆氏に「買い取る目算は有るのか」と質問され、「日本原電が提示した買取単価より高いコスト単価の電源が、置き換わる自社の火力発電の中にまだ有る。」 と答えた。 

 東海第二原発よりも高い火力の電源が自社に有り、それに置き換えて損は無いから買う。 財務的にも支配力的にも東電の一原発に違いない日本原電の原発を再稼働するというわけだ。 

 (動画1) たんぽぽ舎 山崎久隆氏の東電株主総会の報告「六ヶ所村再処理工場〜新規制基準ー審査書案ーでは何が問題か(2020.7.4)」中の 2:18:23から2:26:57の間  

 

 火力の中で一番高い原油火力の一般的コストを推算すると、2020年、kwh当たり24円( 2015年の発電コスト等検証ワーキンググループの原油火力コスト37円/kwhの内、6割を占める燃料費の原油が100$/blから40$/blへ低下したことから推定した)。  
 東海第二原発電気の買取単価は、東電は公表しないが、NPO法人原子力資料情報室の松久保肇氏に依るとkwh当たり22.7円(福島事故で止まってからの維持費を補填するため、東電が8年間に払った基本料金は2022年12月稼働後の電力料金の前払いに他ならないことから含める) 
 しかし、大手電力会社が、固定価格買取制度の下で太陽光電気を買い取る時の買取り単価は、2020年度、kwh当たり5.4円である。
(参考文献1)NPO法人原子力資料情報室「東海第二原発の再稼働は電力消費者に資するか」(2020.2)  
 太陽光電気は、電源設備コストをかける必要と価値が有るから作る。そのコストは「固定買取価格」と同じ。そのコスト単価が大手電力会社に買われる価格より高いから、その差が賦課金で補填される。その買われる価格が「回避可能費用」(単価)。
 東海第二原発電気は、福島事故で止まった後、次のコストをかける必要と価値が有ると言い作る。東電の資金支援金が使われる追加安全対策工事費(単価相当6.8円/kwh)、福島事故後の未稼働中にも収受する電力料金(3.5/kwh)、福島事故賠償の一般負担金(0.7/kwh)の三つのコスト。買われる価格は、残りの稼働可能年数16年で、これらを、回収できる単価を事故前の料金11.7円/kwhに上乗せした単価(事故前の料金は既に償却が済んだ2005年度から2010年度の平均)。  
 今、太陽光発電の産業用低圧50kw以下の「固定買取価格」は12円/kwh。太陽光電気のコストが東海第二原発電気(22.7円/kwh)のほぼ半分に下がっても尚、このコストを払うために東電は国民から6円/kwhほども賦課金を徴収している時に、原発電気なら2倍ものコスト通り払って、原油火力より安いから買い取ると言う。
 太陽光電気の 「回避可能費用」は、太陽光電気を買い取り入れることにより本来、予定されていた発電を取り止めることにより支出を回避し免れる費用。「回避」とは、東海第二原発電気が「置き換える」ことと全く同意である。この回避可能費用の算定基準は、従来は全電源平均可変費や火力平均可変費の原価ベースだっやが、2016年4月の電力全面自由化に合わせ、河野太郎氏も異議を呈した通り、市場価格連動(卸市場価格)に変わった。太陽光電気は変動電源なので、一番高い限界的電源の火力発電の可変費を回避しているから、また、新電力が卸市場から調達する時の価格であり整合するという理由だった。改訂の当時、市場価格が従来基準の原価ベースより高めに推移していたこともあった。しかし、日本卸電力取引所の月平均価格は、固定買取価格制度が始まった2012年以来、いずれの年も、原油火力の可変費にも達することなく推移し終始した。卸市場価格は電気が余る中では限界的電源の原油火力の可変費を越えないのが常態だと分かる。卸市場価格を昨年末から年初にかけて起きた価格急騰のようなことを無くして、玉の出し手の大手電力会社は低く抑え保つことも出来る。太陽光電気が市場に余らされ自らの価格を侵蝕することもある。尚、新電力の調達コストは市場価格によりただ低くなれば良いが、そうではなくて託送料に大きく左右される。 
 (参考文献2) 河野太郎氏著 河野太郎公式サイト「ぼったくりを無くせ」(2014) 
 回避可能費用はどう見るべきだろう。太陽光電気が何を回避してきたか。福島事故以来、原発の廃炉や停止を火力発電と共に埋め合わせ、原油火力可変費というよりも、原発を置き換えてきたのではないか。原発が算定基準に反映されたと考えられるのは、当初2年間の全電源の平均の中の一部、しかも可変費だけという僅かに過ぎない。使用済み燃料を資産計上する原発の可変費は安い。また、固定費と可変費を合わせた総コスト は10.1円/hwhと言われてきた。「回避可能費用」は、正に東海第二原発電気の買取価格22.7円/kwhであり、少なくとも、福島事故停止後の未稼働中の料金は除いた、15.9円/kwhに減価償却を含めたものである。 
 東電は賦課金を不正に貰い過ぎていた。国民から余計に貰った賦課金の総額を、東海第二原発電気の買取価格15.9円に減価償却を加えたものを回避可能費用とし、適用された回避可能費用との差 
東電に聞いても教えてくれなかったが、各年の太陽光電気買取量について算出すると総額1.3兆円。因みに、固定価格買取制度が始まった2012年から8年間の東電の太陽光電気の累積買取量は1000億kwhに対し東海第二原発電気の年間発電量は62億kwh。 因みに、この賦課金総額の内、原油火力可変費を回避可能価格が下回る部分は 千億円。 

一番高い電源でなく原発に、置き換え対象を変更 

原発置き換えの太陽光 に対し ましてや、それより高い東海第二原発電気を入れる とんでもない 10.1円tぴってきた。

 何に使われたか。隠された資金は、何時も、隠したい或いは不適切な原価や支出に充当される。原発電気はkwhあたり10.1円しか掛からないと、兼ねてから言ってきた東電は東海第二原発電気を愈愈、買い取る段になって、その、かけ離れて高い価格を公表しない。原発の総括原価方式下の今の経理にはキャッシュか費用かの区別は重要ではない。賦課金を余計に貰った資金は、原発の再稼働に備えて待つ支出や費用に充当された。管内の太陽光電気の買取りを殆ど独占し、東海第二原発のように金を掛けた原発電気を、買わなくても作る他の大手電力会社も東電と同様である。福島事故の直後、原発に代わるエネルギーの普及のためならやむなしと国民が負担を受け容れた再エネ賦課金の相当な部分が、太陽光発電の普及促進でなく原発の継続のために流用されている。賦課金のこうした間違いを改めることは、単に電気料金に振り替わるだけではない。太陽光発電は格段に安いことが正当に認知評価されると同時に、原発は隠されたコストがあぶり出される。賦課金が原発へ流用された上、今、原発コスト22.7円/kwhで再稼働されようとしている。  

 

 再エネ賦課金は、国民が福島事故で、只、事故で止まった原発の電気を補うだけでなく、このまま原発をやめられるならと、その負担を受け容れた。「固定買取価格マイナス回避可能費用イコール賦課金」の固定買取価格が高かったのは当初2、3年だけで、回避可能費用が安いから賦課金が高い。回避可能費用に対して、特に新電力ができるまでは、総括原価方式の中で賦課金は電気料金との振り替わりという諦めの気持ちもあった。それでも、原発の再稼働さえしなければ、させないという気持ちもあった。しかし、国民の原発代替の願いを託した、原発再稼働に備えた維持費に流用した上、原発を代替してきた賦課金を無いものかの如く東海第二原発を再稼働しようとする。原発に流用された上、今頃、27.2円/kwhと白状する。国民は踏んだりを蹴ったりである。原油火力より安いコスト単価を突きつけられ、再稼働すると言われれば話は違う。ならば、回避可能費用は正に東海第二原発電気の買取価格22.7円/kwhで、回避を行使せざるを得ない。そうすれば、賦課金は無いばかりか、固定買取価格12円/kwhを超える10円/kwhほどの賦課金が国民に返還される。今から振り返れば、福島事故後、原発が再稼働している時に回避可能費用を原発コストにすべきだった。ただし、10.1円でなく真のコストに。原発のコストは分からない。「回避可能費用」も分からない。原発が回避される結果なら、それでよしだった。東電は国民の気持ちに漬け込見続けたが、馬脚を露わした今こそ。  

 

 

 


原発に流用した賦課金でもって太陽光発電は高いという

FIPで流用される賦課金の延命を図る。FIPとは市場連動を一年単位から月単位への変更に過ぎない。流用を市場が隠す。

太陽光潰しのようなこと、いや、潰しが、原発を生かすために行われている。

原発は変動電源の再エネ導入の邪魔をする。 
 (動画2) 総合資源エネルギー調査会基本政策分科会第30回(2020年8月26日) 松村敏弘委員の意見 12分0秒から20分3秒の間
 第6次エネルギー基本計画の策定の初回会合における松村委員の意見からも分かるように、エネルギー基本計画は太陽光発電は賦課金の負担が大きいからコスト高とする。今後も、太陽光発電が増えると賦課金負担が増えると言う。しかし、これは完全な間違いである。付加金のコストは埋没原価であり。今後の太陽光電気には一切関係無い。それよりも、「固定買取価格マイナス回避可能費用イコール賦課金」の、賦課金が増えるのは回避可能費用が不当に低いからである。固定買取価格が現に12円/kwhと電気料金や原油火力の半分以下になっても、賦課金が何故要るのかをおかしいと思うべきである。固定買取価格が高過ぎたのはFIT導入当初2,3年だけである。その後は、その時々の太陽光発電コストとしては、固定買取価格と一致するものである。本当の「回避可能費用」を固定買取価格が下回ったある時点から、太陽光電気をコスト通り買って、太陽光発電がいくら増えても賦課金が増えることはない。 負の賦課金、即ち戻してもらう賦課金さえ発生している。 太陽光発電は原発を完全に代替出来るほど安い。太陽光パネルは韓国や中国製品を買えば良い。20年ではない。40年間自分のものである。
 太陽光発電の電気を、一旦連系線に繋ぎ込むと、系統全体の同時同量、周波数維持のルールに従う必要が生じる。それが、即、地産地消の電気をわざわざ離れた一極集中発電所に渡し、そこで他の電源と十把一絡げに扱われ、賦課金を生じることと、送り返して貰い託送料が掛かることと根は一つである。これに乗じて賦課金で原発の便宜を図る資源エネルギー庁は流石に後ろめたいのか、今頃、盛んに自家消費を薦める。太陽光が発電した場所で本来固有の価値を生かして使うことである。送電容量も使わなくていい。必要なら最低限の末端の配電網を解放して貰ってもいい。太陽光電気のこうした試みや生かし方を新電力と自治体に委ね任せるべきである。太陽光を広める眼目は、電気自動車へ太陽光発電所から直接の給電と、太陽光発電の設置場所を工夫し、敵地を拡大する二つでわる。全国の電気自動車が大きな蓄電池になり太陽光発電の変動性の難が解決する。太陽光発電の適地不足はゴルフ場を、放っておいて嘘である。まだまだ、工夫をすれば、いっぱい敵地は有る。日本の各家庭が、屋根上に太陽光発電と電気自動車とエコキュートのセットを持てば、簡単にエネルギー事情が変えられる。太陽光発電量に応じて給電し、雨天や夜には給電しないのでデマンドレスポンスが完璧になる。航続距離は少ないが、老齢化社会に合わせて鉄道を利用すればいい。燃費はガソリン車の10分の一。将来は商業輸送用には交換式バッテリー或いは、充電不要な屋根搭載太陽光パネル車も間近である。電気自動車の走行中だけでなく、その動力獲得においても原発電気を使わないCO2削減効果が完璧になる。原発電気を使うからと電気自動車に反対してはいけない。その普及と太陽光発電とのシナジー効果を追求することが、原発電気を駆逐する強力な方法になる。災害、非常時或いは戦時に一極集中発電所からの送電が途絶えても、太陽光電気を、分散したその場で使えまた、移動し持ち届けられる。 
 原発無しでやるには、太陽光発電の格段の導入拡大が必須である。それが出来るのも太陽光発電だけである。だから、政府と電力会社は原発の便宜のため太陽光発電の普及を妨害する。再エネの2030年の目標電源比率22%の半分近くは、福島事故以前に既に在り、しかも原発と調整電源として利益相反する揚水発電も含む水力であり、いまだ、太陽光発電は7%にも達しない。風力は1%以下である。工夫すれば地方と共生しながら設備設置の適地はいっぱい有る。駐車場、倉庫、営農型、鉄筋コンクリート建造物の壁面や屋上、まだパネルの付いていない一戸建ての屋根もいっぱい有る。ましてや、屋根や壁の代わりにもなりうる。エネルギー基本計画は「S+3E」の各項目の評価を、原発については真反対に間違えている。 安全性Sは、安全とは言わないで、適合基準に合っているかどうかを見ているだけと言っている原子力規制委員会に安全を丸投げしている論理破綻を臆面もなくしている通りである。安定供給性のEは、国民に支持されていないこと、事故や差し止め判決がいつあってもおかしくない、一つで全てが止まることは不安定の最たるものである。資源エネルギー庁は太陽光発電の適地不足を論うが、原発が周り一帯に人が住めないこと、一旦、事故を起こせば土地の喪失さえ起こることは言わない。経済性のEは
 
 太陽光発電は戦争しなくていい電源である。太陽光発電と風力発電は有り余る自由財を原料とし確立し脚下に在る技術である。外に求める必要の無い自給自足のエネルギーである。確立していない技術を総花的に、多様化を追う必要は無い。水素は電化の叶わないエネルギーの脱炭素において功を奏すもので、原子力発電を代替する効果においては太陽光発電に遠く及ばない。グリーン水素は再エネ変動電源の蓄電池としての意味以上のものでは無い。また、依然、原料を外に求めなければならない。原発は一旦、攻撃対象になれば脆弱だ。原発運転が電気の生産よりも「再処理」が目的かの如く、原発が、「再処理」の原料を生産する上、「再処理」の産出物のプルトニウム消化のMOX運転を担う。全てリスクの倒錯だ。原発代替を目指し、太陽光発電に投資を絞り、どこまで出来るか確かめなければならない。2050年の脱カーボンは脱原発とのセットでなくてはならない。どちらか一つなら、脱原発でなければならない。そうでなれれば、放射能よりもCO2を怖がるという、脅威の軽重の判断と防御の優先順位の分別 における倒錯である。


 



2019年11月12日火曜日

在職老齢年金改定では国民年金生活者を大事に

 私は、今年1月から8月まで交通誘導員のアルバイトを行った。
働いても年金を減らされる心配は全くない。何故なら、年金はせいぜい6・7万円の国民年金か無年金で、賃金は20万円を超えることは無いからだ。合わせた収入は在職老齢年金制度の減額対象下限より遥かに低い。厚生年金の受給者はいやしない。
 前の晩、明日はどこの現場へ行けという指令があり交通費も出ず、それでも仕事があることに感謝しながら、自分の働きが悪くて辞めさせられないかと戦々恐々と勤めている。いつ辞めさせられても仕方のない足や耳の悪い人も多い。対人恐怖症やアスペルガーで危険予知シートが書けない人もいる。そんな人達がやっとありつけた仕事が警備員なのだ。しかも非正規で。仕事内容には楽なものも多くあり、そのような人達を配置してくれるからだ。私は、高齢者に厳し過ぎる若い職長と衝突し、実は減額対象下限にいかない厚生年金受給者だったので辞めることもできた。同僚の多くが、我慢し頑張っている。心配なのは、減額対象下限の47万円は十分すぎる収入であるし、これが引き上げられて就労する人が増えれば、この同僚達の仕事を奪いかねないということだ。年金2千万円不足問題から国民年金生活者を置き忘れた政府である。安倍政権に働き方改革で言われるまでもなく、独立自営や転職を重ね人生に果敢に挑んだ人達が多い国民年金生活者や無年金の人達を大事にしてほしい。在職老齢年金の対象者が厚生年金受給者で、しかも年金の内、報酬比例部分しか47万円に算入されないことは、この後知った。

2019年10月5日土曜日

太陽光発電の失政

3.11後、今後のエネルギー政策を考える時に、原発をやめられるならやめたいという切実さが足りなかった。そのことが原発に代わる電源種の切実な追及もなく、総花的電源種を許し、太陽光や風力で世界に逆転され取り残される、中途半端を招いた。
原発が無くても、エネルギーは当面の火力の増加で十分凌げることを見越し、最も可能性の高かった太陽光発電に絞るチャンスをみすみす逃がした。賦課金が累計的ミニマムになるようゆっくり、慎重に普及することができなかった。賦課金の増大が太陽光発電の普及の足枷になるパラドックスに陥ってしまった。原発をやめなければという熱意さえあれあば、FITという市場原理に任さず、国が自ら太陽光発電を計画的、経年的にやる方法もあった。国民は賦課金という将来電気代となる確定債務を背負ってしまったが、今からでも取り返しが効く。
取り付けた家庭だけでなく、太陽光発電所の周りの家庭で自家消費すれば、電気料金の方が固定買取価格を上回る平成2015年度、固定買取価格適用分以降分(住宅用は2018年度)は、すぐさま卒FIT出来る。一般電力会社に回避可能価格で買い取って貰わなくとも、ほぼ電気料金で近所の家庭に売電出来る。電気代が上がる将来は割安価格も可能だ。
送配電線に乗せないで、自営線によるので周波数問題もない。一般電力会社が2014年以降、送配電線への投資を減らしていることとも整合する。野立ての場合、ケーブルで引いて各々の家庭にコンディショナーを移せば、災害停電時、自立運転も可能だ。また、九州電力のように太陽光発電を抑制することもない。
せっかくの分散電源を一極集中発電に取り込むのでなく、生産だけでなく消費の面からも真の分散電源として活かしさえしたら、災害停電時の日中に電気を供給でき、太陽光発電電気を抑制なくフルに生かせ、何よりも賦課金総額が大きく減らせる。一席三丁である。




2019年9月21日土曜日

千葉の太陽光パネル 何故、役に立たない

太陽光パネルは、地震停電時に何故、役に立たない。
9月15日館山に行き、昨日まで停電だった地域でヒアリング調査を行った。
屋根につけたお宅の太陽光パネルの個別の自立運転は行われた。
しかし、自立運転しない野立て及び屋根上の太陽光発電所の近隣、周りのお宅の電気状況つまり停電の時間は、発電所が近くに無いお家と何の違いも無かったそうだ。日中、晴れて太陽光パネルは発電出来ると思われるのに、停電時、その電気は何の役にも立っていなかったようだ。
太陽光発電された電気は分電盤、系統の配電線を流れ、近い負荷から使われていく。
愕然とした。せっかくの分散電源が停電時、何も役に立たなかったということなのか。
これで良いのだろうか。FITという多大な犠牲を国民に強いる一方、わざわざ分散電源の長所を矯める、なんと芸の無いことか。






2019年9月6日金曜日

東海第二原発は東電の一原発、その電気の購入は断ろう

 東海第二原発は、東京電力の一原発である。以下の三つの理由から、それを言える。 
 第一に、日本原電には、関電、中電、北陸電が敦賀原発2号機を、東電と東北電が東海第二原発をという棲み分けが有り、東海第二原発という資産に対しては、株式持分30%弱でも東電の完全に近い支配が及ぶ。そして、東海第二原発の発電した電気の80%を東電が20%を東北電力が最終需要家に売る。
 第二に、国は賠償・廃炉等支援機構(株式持分54.7%)を通じ東電を国有化している。国は電力会社に、MOX燃料による原発運転で外見は平和利用を装いながら、核燃サイクルにおけるプルトニウムの消化をやってもらいたい。東電は、事故前、福島第一原発3号機でやっていたプルサーマル運転を他の大手電力会社に頼まなければならないところ、国は東海第二原発にやらそうとしている。国有の東電が自社分プルトニウムの消化を他の大手電力会社に頼むわけにはいかないのである。
 第三に、東海第二も東電の全原発と同型の沸騰水型軽水炉(BWR)である。3.11で事故を起こして初めてのBWR再稼働は、日本原電の名が隠れ蓑として恰好なのである。
 
 東海第二原発は、全廃を決めた福島原発の役割を補うよう企図される、正に東電の一原発である。東海第二の再稼働は、その電気を日本原電に成り代わって東京電力が最終需要家に売ってあげるというような生易しいことではない。東電が福島第一原発もどきの、さらに危険な、東電の一原発により、3.11後、初めて原発運転を再開するという、とんでもないことなのである。

 高浜町の40代男性は、関電不正について聞かれて言った。「ああやって地元に利益を持ってこられる人は必要だった。だっておかしいでしょ。発電所は地元にあるのに、関西の人にばかり利益が行くのは」と。東電は10月28日、原電への資金支援を正式決定し、その理由を「東海第二は、お客様に低廉で安定的かつCO2の少ない電気をお届けすることに資する電源として期待できるとの結論に至った」と言った。電気は足りている。一人ひとりが、自分の問題であり反対する術を持っている。東京電力と電気購入契約をしている東京・横浜の人は、原発電気だけは断ろう。

東海第二は東京に一番近い、日本で一番危険(老朽、被災、事故率日本一、再処理施設と隣り合せ)な原発

2019年7月25日木曜日

「風評被害」の困った使われ方

「風評被害」という言葉が、「不都合な真実」から国民の目を逸らすことに、政府、官僚によって、うまく利用されている。風評被害とは、根拠のない噂のために受ける被害のこと。そこには、実害でないという、否、少なくとも実害かどうかは問題にしないという暗黙の通念がある。風評被害は金で解決できるものがあるが、実害は金では解決できない。原発に反対する人を、風評被害を煽ると批判する人々がいる。その被害は、農産物が売れない、魚が売れない、帰還できない、復興ができないというもの。再稼働が邪魔されるのも被害だと言わんばかり。これらの被害は実害にもとづくもので、それを風評被害と片付けるなら、それは、政府官僚がその言葉を自分たちのやりたいようにうまく利用している
からだ。我への忖度の放置と同様、自ら働きかけたかどうかは別に。何故なら、風評被害を受けるものが言い出すものも有る。大事なことはその場合、彼らは実害の有無については無頓著なことだ。
しかし、危険が真実であれば、それを我慢して認め受け容れなければならないのだ。
被曝の危険な事実があれば、それはもはや風評でなない。
被害もあるべくしてあり、いくら怯えが怖くても、当然、我慢して受け入れなければならないものだ。
そういう農産物、魚を売ってはいけないのだ。帰還してはいけないのだ。復興してはいけないのだ。事故を前提にしたらいけないのだ。避難訓練した段階でいけないのだ。再稼働してはいけないのだ。
政府と官僚は、難しいことは安直に風評で片付け、真実かどうか追求せず、被害を受ける人の側に恩着せがましく立っている振りをする。
こうして放射能被曝の真実が直視されない。
同じように、原発安全神話が倒れて、今度は被曝安全神話が跋扈している。
風評被害への配慮や懸念が実害を究明するのを妨害するように取り沙汰される時が有る。
原発サイトから冷却水が常時海洋放出されていることが、福島汚染処理水を流しても良いとする論拠になり、決して原発サイトからの流出が危険というそもそも論に至らない。




2019年5月8日水曜日

太陽光電気の特定供給


何故、せっかくの分散電源を、電力会社の送配電網に繋げ集中電源化しなければいけないのか。分散電源にも送配電コストを配賦するためとしか思えない。このコストはそのまま需要家が負担する賦課金になっているのだ。独立した配電線を引けば、災害時停電時にも使える。大手電力会社の送電網の一部を独立して使えるようにするのもいい。分散電源が現に使っているのは配電網の一部なのだから。

改善方法
太陽光発電の自営線(独立した配電線)による自己託送(特定供給)を行う。(電気自動車への直接供給も含む)
特に次の電気
①抑制により捨てられる電気。
②FITの買取期限を経過したもの。
③FITで固定買取価格がで電気料金27円以下のもの。

①②は折角、高いFITのコストを掛けて作った電気を本来固有の価値を貶めることなく、活かして消費出来る。
高い賦課金までつけて必要とした再エネ電気、だからこそ電力会社に買取義務を課した。それを無駄ににして良いのだろうか。

太陽光電気を固定価格買取制度の元、一般電力に売り渡さなければ、自営線を引くことのできる近隣の負荷に流せば、需要家の賦課金は減るし、発電者は、電気料金より遥かに低い固定買取価格で売ることもない。系統に流さないので需要が減るだけでアンシラリーを乱すことがないので九電による抑制で捨てられる電気を使うことができる。

更に③は賦課金の削減になる。
連系による送配電線容量の使用がないので、太陽光増加の吸収のための送配電線増強は不要となり、そのお金を自営線の拡張に回せる。
隣近所に自前の電線で新電力を経由して販売されるが、自家消費を増やすことと同じ考え方。太陽光電気を価値通り、捨てることなく、系統に負担を掛けず、生かし切る。
太陽光電気が原発電気を本当に代替するだけの本来の実力を持つことになる。
スマートグリッドのように閉じたシステムでなく、需給の過不足は連系線から購入、売電出来、調整されるのでアメーバグリッドと称する。

アンシラリーコストは言える筋合いでない。買取をやめればいい。供給の変動から需要の変動に変わった時点でも尚、アンシラリーコストを言うなら独占一元供給をやめればいい。