東海第二原発は、東京電力の一原発である。以下の三つの理由から、それを言える。
第一に、日本原電には、関電、中電、北陸電が敦賀原発2号機を、東電と東北電が東海第二原発をという棲み分けが有り、東海第二原発という資産に対しては、株式持分30%弱でも東電の完全に近い支配が及ぶ。そして、東海第二原発の発電した電気の80%を東電が20%を東北電力が最終需要家に売る。
第二に、国は賠償・廃炉等支援機構(株式持分54.7%)を通じ東電を国有化している。国は電力会社に、MOX燃料による原発運転で外見は平和利用を装いながら、核燃サイクルにおけるプルトニウムの消化をやってもらいたい。東電は、事故前、福島第一原発3号機でやっていたプルサーマル運転を他の大手電力会社に頼まなければならないところ、国は東海第二原発にやらそうとしている。国有の東電が自社分プルトニウムの消化を他の大手電力会社に頼むわけにはいかないのである。
第三に、東海第二も東電の全原発と同型の沸騰水型軽水炉(BWR)である。3.11で事故を起こして初めてのBWR再稼働は、日本原電の名が隠れ蓑として恰好なのである。
東海第二原発は、全廃を決めた福島原発の役割を補うよう企図される、正に東電の一原発である。東海第二の再稼働は、その電気を日本原電に成り代わって東京電力が最終需要家に売ってあげるというような生易しいことではない。東電が福島第一原発もどきの、さらに危険な、東電の一原発により、3.11後、初めて原発運転を再開するという、とんでもないことなのである。
高浜町の40代男性は、関電不正について聞かれて言った。「ああやって地元に利益を持ってこられる人は必要だった。だっておかしいでしょ。発電所は地元にあるのに、関西の人にばかり利益が行くのは」と。東電は10月28日、原電への資金支援を正式決定し、その理由を「東海第二は、お客様に低廉で安定的かつCO2の少ない電気をお届けすることに資する電源として期待できるとの結論に至った」と言った。電気は足りている。一人ひとりが、自分の問題であり反対する術を持っている。東京電力と電気購入契約をしている東京・横浜の人は、原発電気だけは断ろう。
東海第二は東京に一番近い、日本で一番危険(老朽、被災、事故率日本一、再処理施設と隣り合せ)な原発
2019年9月6日金曜日
2019年7月25日木曜日
「風評被害」の困った使われ方
「風評被害」という言葉が、「不都合な真実」から国民の目を逸らすことに、政府、官僚によって、うまく利用されている。風評被害とは、根拠のない噂のために受ける被害のこと。そこには、実害でないという、否、少なくとも実害かどうかは問題にしないという暗黙の通念がある。風評被害は金で解決できるものがあるが、実害は金では解決できない。原発に反対する人を、風評被害を煽ると批判する人々がいる。その被害は、農産物が売れない、魚が売れない、帰還できない、復興ができないというもの。再稼働が邪魔されるのも被害だと言わんばかり。これらの被害は実害にもとづくもので、それを風評被害と片付けるなら、それは、政府官僚がその言葉を自分たちのやりたいようにうまく利用している
からだ。我への忖度の放置と同様、自ら働きかけたかどうかは別に。何故なら、風評被害を受けるものが言い出すものも有る。大事なことはその場合、彼らは実害の有無については無頓著なことだ。
しかし、危険が真実であれば、それを我慢して認め受け容れなければならないのだ。
被曝の危険な事実があれば、それはもはや風評でなない。
被害もあるべくしてあり、いくら怯えが怖くても、当然、我慢して受け入れなければならないものだ。
そういう農産物、魚を売ってはいけないのだ。帰還してはいけないのだ。復興してはいけないのだ。事故を前提にしたらいけないのだ。避難訓練した段階でいけないのだ。再稼働してはいけないのだ。
政府と官僚は、難しいことは安直に風評で片付け、真実かどうか追求せず、被害を受ける人の側に恩着せがましく立っている振りをする。
こうして放射能被曝の真実が直視されない。
同じように、原発安全神話が倒れて、今度は被曝安全神話が跋扈している。
風評被害への配慮や懸念が実害を究明するのを妨害するように取り沙汰される時が有る。
原発サイトから冷却水が常時海洋放出されていることが、福島汚染処理水を流しても良いとする論拠になり、決して原発サイトからの流出が危険というそもそも論に至らない。
からだ。我への忖度の放置と同様、自ら働きかけたかどうかは別に。何故なら、風評被害を受けるものが言い出すものも有る。大事なことはその場合、彼らは実害の有無については無頓著なことだ。
しかし、危険が真実であれば、それを我慢して認め受け容れなければならないのだ。
被曝の危険な事実があれば、それはもはや風評でなない。
被害もあるべくしてあり、いくら怯えが怖くても、当然、我慢して受け入れなければならないものだ。
そういう農産物、魚を売ってはいけないのだ。帰還してはいけないのだ。復興してはいけないのだ。事故を前提にしたらいけないのだ。避難訓練した段階でいけないのだ。再稼働してはいけないのだ。
政府と官僚は、難しいことは安直に風評で片付け、真実かどうか追求せず、被害を受ける人の側に恩着せがましく立っている振りをする。
こうして放射能被曝の真実が直視されない。
同じように、原発安全神話が倒れて、今度は被曝安全神話が跋扈している。
風評被害への配慮や懸念が実害を究明するのを妨害するように取り沙汰される時が有る。
原発サイトから冷却水が常時海洋放出されていることが、福島汚染処理水を流しても良いとする論拠になり、決して原発サイトからの流出が危険というそもそも論に至らない。
2019年5月8日水曜日
太陽光電気の特定供給
何故、せっかくの分散電源を、電力会社の送配電網に繋げ集中電源化しなければいけないのか。分散電源にも送配電コストを配賦するためとしか思えない。このコストはそのまま需要家が負担する賦課金になっているのだ。独立した配電線を引けば、災害時停電時にも使える。大手電力会社の送電網の一部を独立して使えるようにするのもいい。分散電源が現に使っているのは配電網の一部なのだから。
改善方法
太陽光発電の自営線(独立した配電線)による自己託送(特定供給)を行う。(電気自動車への直接供給も含む)
特に次の電気
①抑制により捨てられる電気。
②FITの買取期限を経過したもの。
③FITで固定買取価格がで電気料金27円以下のもの。
①②は折角、高いFITのコストを掛けて作った電気を本来固有の価値を貶めることなく、活かして消費出来る。
高い賦課金までつけて必要とした再エネ電気、だからこそ電力会社に買取義務を課した。それを無駄ににして良いのだろうか。
太陽光電気を固定価格買取制度の元、一般電力に売り渡さなければ、自営線を引くことのできる近隣の負荷に流せば、需要家の賦課金は減るし、発電者は、電気料金より遥かに低い固定買取価格で売ることもない。系統に流さないので需要が減るだけでアンシラリーを乱すことがないので九電による抑制で捨てられる電気を使うことができる。
更に③は賦課金の削減になる。
連系による送配電線容量の使用がないので、太陽光増加の吸収のための送配電線増強は不要となり、そのお金を自営線の拡張に回せる。
隣近所に自前の電線で新電力を経由して販売されるが、自家消費を増やすことと同じ考え方。太陽光電気を価値通り、捨てることなく、系統に負担を掛けず、生かし切る。
太陽光電気が原発電気を本当に代替するだけの本来の実力を持つことになる。
スマートグリッドのように閉じたシステムでなく、需給の過不足は連系線から購入、売電出来、調整されるのでアメーバグリッドと称する。
アンシラリーコストは言える筋合いでない。買取をやめればいい。供給の変動から需要の変動に変わった時点でも尚、アンシラリーコストを言うなら独占一元供給をやめればいい。
2019年1月14日月曜日
今は太陽光発電を大事にする時
トルコ、英国への輸出が駄目になり、東海第二の再稼動は周辺自治体が全て反対している。原発の将来が見えなくなってきた。にも拘らず、政府と電力会社は2030年の基本計画の原発発電比率22%の枠を確保するため太陽光を抑えるようなことを続けている。国民に賦課金の犠牲の上のFITとも逆行している。今は、太陽光発電を大事にしなくてはならない。CO2削減で、不足する原発を補完するものは当面、太陽光なのだから。
抑制とは太陽光で発電された電気を無礙に捨てることだ。
九州電力が去年始めた川内、玄海原発を維持した出力抑制や、停止している原発の枠まで確保した接続連系拒否。
斜面に不用意に設置された太陽光パネルの弊害を、野放しにしてきた行政自身が声高に言う。住宅の屋根を始め、適地は一杯ある。
すぐ使える電気が、電力会社に回避可能価格という火力電源並みの価格でしか買い取られない。だから、電気料金を下回っても固定買取価格が必要になり、賦課金を介して国民の負担に跳っている。
太陽光発電の優位性の顕在化は、まずは価格の急激な低下だろう。それだけではない。発電量の安定性、手間のかからないこと等、リスクの無さが稼働実績が得られるに連れ確かになって来た。これは最近の緊急電源太陽光発電投資に対する銀行融資金利の低下に表れている。また、特に北海道地震で、災害時に停電になっても大丈夫なように分散電源の必要性を国民が思い知った。
私は原発に反対する者だが、そうでなくとも今の政府と電力会社のやり方は危ういと思う。
2018年11月17日土曜日
FIT法を訊す
意 見
1. 原則、再エネは全て新電力が買取り販売し、託送料金を課さない。新電力に支給する交付金を売価と回避可能価格の差だけ減らす。
2. 再エネ発電所の電気自動車への給電サービスの自由化。
給電サービス量の過不足を吸収出来るように系統に連系したままとする。
3. 既に、固定買取価格上でさえ優にグリッドパリティーを達成した今後の太陽光は、!. においてFITを離脱する。
賦課金が無くなるだけでなく、既にコストは10円/kWhを下回っているので電気料金を下げるように働く
千葉の台風被害による停電の後、産業用太陽光の自家消費を推進すする方針を資源エネ庁が出した。そしてそれに違うものはFIT買取をやめると言っている。ではいくらで買取というのか。買取をやめるというなら今更やめる権利があるのか。流石に電気料金を大幅に下回るコストになっても賦課金が発生する仕組みが後ろめたくなったのであろう。正当に扱えば最低、電気料金の価値あるものを無駄にし、その付けを国民に賦課金という形で補填させていることに気づかれては困るという判断であろう。
4. 社会のトータル利益を考えながら最も効率的に運用する為に、送配電網の国有化を厭わない。
いずれも、何らかの理由で新電力が買取り販売出来ない場合のみFITの現行のスキームによる。
理 由
需要地に近い所で作られる再エネ電気はその場で少なくとも電気料金の価値がある。それが、一般電力会社に買取られることにより置き換わる火力の費用、しかも設備費を考慮しない仕入燃料費でしか評価されない。つまり、せっかく地産地消されている再エネ電気を火力燃料と同じに一極集中発電所において仕入れ送配電し供給したことにする。また、膨大な賦課金負担の犠牲のもとに促進しながら、即ち再エネの稀少性を認めたFITという施策を取りながら、一方で火力燃料費並みに蔑めるのは、一般電力会社を助ける余念があるのか、中途半端を越して逆行と言える政策矛盾である。
太陽光発電の潮流改善効果や、ピークカット効果を見ないで変動電源の難や送電容量制約のみを殊更言い、再エネを排除しようとすることと同根である。
この指摘を、再エネ電気をどう評価しようが、需要家が固定買取価格を電気料金と賦課金のどちらで負担するかの割振りだけのことと切り棄てるのは、総括原価方式の枠内での考え方であり電力自由化がなった今、許されるものでない。
現に、支払に疑問を抱く賦課金が膨大に発生する。
発電と同時に近隣で即、消費されている実際の電気の流れ通りに電気料金で評価すれば予定されている賦課金の7割、20兆円以上が減る。発電所から電気自動車に直に補給すれば配電網さえ使わず、電気料金の近似値で売れることを想えば、これと大差ない。
また、原発電気の混ざらない再エネを使いたいという需要家のニーズも満たせる。再エネの導入を促進するということは、その稀少性を認め、クリーンな付加価値を認め、需要家のニーズを認めることであり、それを売価へ具現化出来、その分賦課金を更に減らせられるということである。FITと言う政策を最大限、効率的に運用する為、最小の賦課金で最大の普及効果を得る為に、縦割りの非効率な施策を一気通貫のものにすることだ。普及インセンティブの国民負担だけでなく、再エネ電気の配電網使用の無償化を通じた電力会社の再エネ振興コスト負担があって良い。
給電サービスは、給電ステーションを全国各所に作りたい自動車業界の思惑に合致する。車が大きな蓄電池となり変動電源と送電容量の障礙が緩和される。民生用電気の電気自動車での運搬も可能になる。
1. 原則、再エネは全て新電力が買取り販売し、託送料金を課さない。新電力に支給する交付金を売価と回避可能価格の差だけ減らす。
2. 再エネ発電所の電気自動車への給電サービスの自由化。
給電サービス量の過不足を吸収出来るように系統に連系したままとする。
3. 既に、固定買取価格上でさえ優にグリッドパリティーを達成した今後の太陽光は、!. においてFITを離脱する。
賦課金が無くなるだけでなく、既にコストは10円/kWhを下回っているので電気料金を下げるように働く
千葉の台風被害による停電の後、産業用太陽光の自家消費を推進すする方針を資源エネ庁が出した。そしてそれに違うものはFIT買取をやめると言っている。ではいくらで買取というのか。買取をやめるというなら今更やめる権利があるのか。流石に電気料金を大幅に下回るコストになっても賦課金が発生する仕組みが後ろめたくなったのであろう。正当に扱えば最低、電気料金の価値あるものを無駄にし、その付けを国民に賦課金という形で補填させていることに気づかれては困るという判断であろう。
4. 社会のトータル利益を考えながら最も効率的に運用する為に、送配電網の国有化を厭わない。
いずれも、何らかの理由で新電力が買取り販売出来ない場合のみFITの現行のスキームによる。
理 由
需要地に近い所で作られる再エネ電気はその場で少なくとも電気料金の価値がある。それが、一般電力会社に買取られることにより置き換わる火力の費用、しかも設備費を考慮しない仕入燃料費でしか評価されない。つまり、せっかく地産地消されている再エネ電気を火力燃料と同じに一極集中発電所において仕入れ送配電し供給したことにする。また、膨大な賦課金負担の犠牲のもとに促進しながら、即ち再エネの稀少性を認めたFITという施策を取りながら、一方で火力燃料費並みに蔑めるのは、一般電力会社を助ける余念があるのか、中途半端を越して逆行と言える政策矛盾である。
太陽光発電の潮流改善効果や、ピークカット効果を見ないで変動電源の難や送電容量制約のみを殊更言い、再エネを排除しようとすることと同根である。
この指摘を、再エネ電気をどう評価しようが、需要家が固定買取価格を電気料金と賦課金のどちらで負担するかの割振りだけのことと切り棄てるのは、総括原価方式の枠内での考え方であり電力自由化がなった今、許されるものでない。
現に、支払に疑問を抱く賦課金が膨大に発生する。
発電と同時に近隣で即、消費されている実際の電気の流れ通りに電気料金で評価すれば予定されている賦課金の7割、20兆円以上が減る。発電所から電気自動車に直に補給すれば配電網さえ使わず、電気料金の近似値で売れることを想えば、これと大差ない。
また、原発電気の混ざらない再エネを使いたいという需要家のニーズも満たせる。再エネの導入を促進するということは、その稀少性を認め、クリーンな付加価値を認め、需要家のニーズを認めることであり、それを売価へ具現化出来、その分賦課金を更に減らせられるということである。FITと言う政策を最大限、効率的に運用する為、最小の賦課金で最大の普及効果を得る為に、縦割りの非効率な施策を一気通貫のものにすることだ。普及インセンティブの国民負担だけでなく、再エネ電気の配電網使用の無償化を通じた電力会社の再エネ振興コスト負担があって良い。
給電サービスは、給電ステーションを全国各所に作りたい自動車業界の思惑に合致する。車が大きな蓄電池となり変動電源と送電容量の障礙が緩和される。民生用電気の電気自動車での運搬も可能になる。
2018年8月8日水曜日
エネルギー基本計画の五つの擦れ違い
今年の7月3日に閣議決定されたエネルギー基本計画の内容は国民の意見と、殆ど噛み合っていない。国のエネルギーに関する長期方針が、こんなことでよいのだろうか。政府、官僚、電力会社の方針だからよいとでもいうのだろうか。「パブリックコメント」は資源エネ庁の会議室で、それと経産省の考え方の対照表及び、策定中募集された「意見箱」はホームページで読んだ。そして噛み合っていない原因を考えて見た。五つの擦れ違いが有ると思う。読んだことを咀嚼して自分の思うことも書いた。
視点として3E+Sの設定し、安全性のSを大前提に三つのE、即ちエネルギーの安定供給、コスト低減、温暖化対策に最大限取り組むようエネルギーミックスを決めるという。一番大きな擦れ違いは安全性の視点Sの用い方である。経産省は、安全性Sを除く三つのEの視点から原発は欠かせないという評価を出しその後、原発の安全性の担保を原子力規制委員会の規制基準に委ねている。それに対し大多数の国民の意見の根底に有るSの視点の用い方は、原発無くても電気は足りていることに鑑み、三つのEが持ち堪えられる限り原発ゼロを目指し、三つのEがどこまで持ち堪えられるか、持ち堪える方法や努力の仕方の必死で切実な検討である。大半の国民の意見を見れば、どんなことをしてもやめてほしいと言う魂の叫びである。廃炉に必要なお金は日銀券増刷分を当ててもいいと言っている。放射性廃棄物の処分の引き受けを国民に迫るなら、その前に、動かすことより廃炉に専念してほしいと言っている。福島事故後、事故は起こることを認めてから特に、人間が原発を安全に扱えるか、原発の危険に対するに足る覚悟が出来るかを問題にしている。
私はかく思う。安全神話に隠されていたものは、扱いにくい原発の危険に、人間固有の懲りない杜撰さ、あさましさ、弱さが合体する危険である。忖度したり自分の経済に負け優先させてしまう弱さである。周りに安全と言えば言うほど、その内、自分でもその気になり安全の備えを怠るモラルハザード。人間のための原発のはずが、いつの間にか人間の尊厳を原発の下位にして、しかもその事に気づかない弱さ。戦争状態に陥る弱さも含めてである。
原発を容認する人々の意見を読んで思うことは、彼らは福島で分かった原発事故の無力と悲惨に知らず知らず、目を背けているのではないか、安全を考える上でのスパンが短か過ぎということである。
二番目は、原発のコストの捉え方のすれ違いである。経産省は原発のコストを電気料金を構成するコストの範囲で考えているのに対し、大半の国民は電気料金に拘らず、原発の真のコストを問題にしている。
原発は不確定で、長期的で未知で、金額換算しにくいコストが多い。これらは、三つの指標の間に落ち結局は取り漏らされている。手当てしようのあるもの、いや、したものだけをコストと言っている。
健康被害や自然破壊は取り返しが付かない。分からない放射能の影響を心配するのもコストである。帰還できないでいる事を見ても、ひとたびの汚染は土地の喪失である。運転の都度発生する使用済み燃料は、準国産でも資産でもあろうはずがない。その処分コストは誰もが受け入れないほど大きい。ましてや子孫の迷惑は端から忘れられている。
現世代に請求できるコストに限らざるをえない電気料金には、これらの多くが含まれない。洩れたコストは、将来世代に付け回されるか支払われない賠償金のように代償されないだけで、無くなりはしない。
私はかく思う。経産省は、これらのコストを、国民の過剰な懸念のせいにする。だから、懸念を解消するように社会的信頼を獲得することを、ここぞとばかりに基本計画に盛る。福島事故の被害を少しでも小さく見せることに窮久としているのに何をか言わんやである。そして、ただ、少しでも安い電気料金の提示と引き換えに国民に信頼を強要する。
第三は、太陽光・風力は当然、温暖化対策に当然資すると考える大半の国民の意見に対し、経産省は変動の調整のため火力を伴い、単独で脱炭素化は出来ないと考えている。
しかし、太陽光・風力の電気が置き換わるのは、一定発電の原発ではなく今、発電している火力である。間違いなく、置き換えられた火力のCO2は減る。追加的に火力発電を伴うことは無い。太陽光は晴れの時は需要カーブに合った発電をする。そしてその割合を上げる手段は多く、コジェネや揚水発電等の脱炭素化電源で調整する手法、発電した所で出来るだけ販売する方法もある。やる気があるかどうかである。
因みに、きめ細かさの違いはあれ、調整を要するのは、出力制御できず単独では需要に合わせられない電源の仲間である原発とて同じである。緊急停止に備えた予備火力も原発は要る。原発だけがベースロードという特権を与えられ火力の調整幅を喰う。太陽光・風力は賦課金という犠牲を払っても促進している。燃料費の何の節減にもならない太陽光・風力を抑えないで、古いベースロードという考え方よりも柔軟性の確保の方が大事だ。ましてや、運転中に漏出する放射性物質の有害度はCO2どころではない。発生熱量の3分の2を温排水という形で海に流し地球を温めている。
・原発は放射能を出す電源だという国民の意見に対し、ゼロエミッション電源として環境の観点から何も欠点を言わない経産省の意見233ページ
発電時以外のウラン鉱山 温排水
資源豊富国 一回目 原発ゼロの会 214ページ
ドイツ 脱原発、石炭に野心的に取り組んでいる。
・石炭火力について
・テロ、戦争に対する不安
東大法学部 しっかりしろ 大手電力会社
2・24 40ページ 到達可能ミックス 東電原発 東京都の責任 沖縄と同じ構図 柏崎狩羽も親切も難しい
資源国かいなか
原発クリーンエネではない
テロの備えをすると 原発の建設コストが2倍以上になること。
2、クリーンエネルギーのコストはどんどん安くなって、原子力よりも火力よりも安くなったこと。
3、原発は海温め装置であり、地球を温めている元凶の1つであること。
11月14日、東京新聞の2面トップ記事
第四は、太陽光・風力のコスト認識の違いである。世界的な急速なコスト低下と普及拡大に、日本も、と大いに期待する大半の国民の意見に対し、資源エネ庁は賦課金の国民負担をコストに含めて捉え、その依然高いコストの低下が課題と言う。
しかし、買取価格は20年間変わらない。それを補填する賦課金支払いも20年間変わらない。従って、賦課金は、今後の太陽光のコストには埋没原価であり導入ポテンッシャルには無関連である。経産省の言い振りは、再エネを促進するインセンティブを阻害要因に変えてしまう自己否定である。そして、日本の太陽光のコストは海外パネルを使い低下が著しく既にグリッドパリティーの半分に達している。
私はかく思う。その賦課金を抑えることは、むしろ経産省、自らが負う課題である。経産省が自ら招いた制度初期の冗長な賦課金の認可未実施分の淘汰のことではない。
太陽光の発電され自家消費された残りの電気は、逆潮流といっても送配電線
の僅かを通るだけである。
既に決まった賦課金については、太陽光発電者が電気を送電線に送り込まず、その場で販売出来れば、託送料が掛からない分、今からでも減らすことが出来る。
今後決まる賦課金については、日本の太陽光のコストも海外パネルを使い低下が著しく既にグリッドパリティーの半分に達している今、固定価格買取制度に依らなければ、賦課金が無くなる上、電気料金より安く売ることも可能である。それを、送配電線を僅かに使っているがために、一般電力を助けるようにFITに依っている。送配電線を使う影響は需要の変動とも言える。発電した所で販売すれば文句無くFITを離れられる。例えば、借家人や近隣への電気販売の自由化、電気自動車への給電である。この方向で経産省は施策してほしい。尚、電気自動車は強力なデマンドレスポンスのツールになる。
資源エネ庁は第三、四の考え方から、2030年の発電シェアを、原子力と再エネを合わせたゼロエミッション電源44%の内、太陽光を7%、風力を1.7%とした。太陽光の現時点の発電シェアは6%弱に達し認可済み案件の一部を含めれば7%を既に超えている。今後12年間の伸び代が、あろうことかマイナスである。
私はかく思う。せっかくコストをかけ促進している再エネに抑制をかけなければならない政策矛盾が将来どうなるかわからない原発の枠取りの為に行われている。これがべースロードということか。送電でも。CO2削減目標に達しそうにない時、待ち構えて居さえすれば、あわや原発の再稼働と、許されるとでも思っているのだろうか。
第五は、大半の国民の核燃料サイクルはもうやめようという意見に対し、経産省は継続するという。もんじゅの廃止が決まったら、今度はプルトニウムを減らすため、MOX燃料による軽水炉でのプルサーマル運転、即ち原発の再稼働をすると言う。かと思いきや減らすべきプルトニウムを使用済み燃料から取り出す再処理もやめず、MOX燃料にし軽水炉で利用するという。本末転倒である。
私はかく思う。この計画は再稼働を必然とすると言うが、使用済み燃料の問題を隠す。バックエンドも安全神話の加護の元にあったではないか。バックエンドについて、原子力規制庁の安全性Sの視点からの検討はされていないではないか。
・策定中募集した「意見箱」
・基本計画(案)に対する「パブリックコメント」
・比較表も
安全神話から醒めたと事故を想定し、それをEの一つのコストに見積もり、安全性Sの検討は安全だと言わない規制基準に委ねた。この基準は安全だとは言わない。見積もったコストはおざなりだが、安全が経産省の言うコストだとは認めていない。
安全を分断し、お金、しかも今負担可能、測定可能、お金に換算するトリックである。
安全性を経済合理性に解体し
・2014年、前回の基本計画策定から3年間の情勢変化は無いとする政府に対し、大きく変わったとする国民 (3,26意見2/3) 一回目 原発ゼロの会
ネット 事故後の惨状
経産省は安全神話に醒め、福島級の事故を4000年炉に一回起こるとしてコストに参入してよしとした。福島事故の惨状が明らかになりその重さは当時より大きくなった。今では一度でも福島のような事故が起こってはならないと今は思っている。
使用済み燃料もプルトニウムも、減らすのは再稼働をやめること。
再稼働、サイクル、再処理 ーーー同時に止めるもの
規制委員会の判断に委ねる 再稼働申請に対し必ず許可の予め想定 越権行為 原発22% if 火力削減 結果としてzeroemi 44%以上むしろ歓迎
石炭火力 原発でCO2相殺
40%ぐらうなら今の電力システムでも 太陽光、風力
再エネ賦課金 火力の減で国民負担になっていない
視点として3E+Sの設定し、安全性のSを大前提に三つのE、即ちエネルギーの安定供給、コスト低減、温暖化対策に最大限取り組むようエネルギーミックスを決めるという。一番大きな擦れ違いは安全性の視点Sの用い方である。経産省は、安全性Sを除く三つのEの視点から原発は欠かせないという評価を出しその後、原発の安全性の担保を原子力規制委員会の規制基準に委ねている。それに対し大多数の国民の意見の根底に有るSの視点の用い方は、原発無くても電気は足りていることに鑑み、三つのEが持ち堪えられる限り原発ゼロを目指し、三つのEがどこまで持ち堪えられるか、持ち堪える方法や努力の仕方の必死で切実な検討である。大半の国民の意見を見れば、どんなことをしてもやめてほしいと言う魂の叫びである。廃炉に必要なお金は日銀券増刷分を当ててもいいと言っている。放射性廃棄物の処分の引き受けを国民に迫るなら、その前に、動かすことより廃炉に専念してほしいと言っている。福島事故後、事故は起こることを認めてから特に、人間が原発を安全に扱えるか、原発の危険に対するに足る覚悟が出来るかを問題にしている。
私はかく思う。安全神話に隠されていたものは、扱いにくい原発の危険に、人間固有の懲りない杜撰さ、あさましさ、弱さが合体する危険である。忖度したり自分の経済に負け優先させてしまう弱さである。周りに安全と言えば言うほど、その内、自分でもその気になり安全の備えを怠るモラルハザード。人間のための原発のはずが、いつの間にか人間の尊厳を原発の下位にして、しかもその事に気づかない弱さ。戦争状態に陥る弱さも含めてである。
原発を容認する人々の意見を読んで思うことは、彼らは福島で分かった原発事故の無力と悲惨に知らず知らず、目を背けているのではないか、安全を考える上でのスパンが短か過ぎということである。
二番目は、原発のコストの捉え方のすれ違いである。経産省は原発のコストを電気料金を構成するコストの範囲で考えているのに対し、大半の国民は電気料金に拘らず、原発の真のコストを問題にしている。
原発は不確定で、長期的で未知で、金額換算しにくいコストが多い。これらは、三つの指標の間に落ち結局は取り漏らされている。手当てしようのあるもの、いや、したものだけをコストと言っている。
健康被害や自然破壊は取り返しが付かない。分からない放射能の影響を心配するのもコストである。帰還できないでいる事を見ても、ひとたびの汚染は土地の喪失である。運転の都度発生する使用済み燃料は、準国産でも資産でもあろうはずがない。その処分コストは誰もが受け入れないほど大きい。ましてや子孫の迷惑は端から忘れられている。
現世代に請求できるコストに限らざるをえない電気料金には、これらの多くが含まれない。洩れたコストは、将来世代に付け回されるか支払われない賠償金のように代償されないだけで、無くなりはしない。
私はかく思う。経産省は、これらのコストを、国民の過剰な懸念のせいにする。だから、懸念を解消するように社会的信頼を獲得することを、ここぞとばかりに基本計画に盛る。福島事故の被害を少しでも小さく見せることに窮久としているのに何をか言わんやである。そして、ただ、少しでも安い電気料金の提示と引き換えに国民に信頼を強要する。
第三は、太陽光・風力は当然、温暖化対策に当然資すると考える大半の国民の意見に対し、経産省は変動の調整のため火力を伴い、単独で脱炭素化は出来ないと考えている。
しかし、太陽光・風力の電気が置き換わるのは、一定発電の原発ではなく今、発電している火力である。間違いなく、置き換えられた火力のCO2は減る。追加的に火力発電を伴うことは無い。太陽光は晴れの時は需要カーブに合った発電をする。そしてその割合を上げる手段は多く、コジェネや揚水発電等の脱炭素化電源で調整する手法、発電した所で出来るだけ販売する方法もある。やる気があるかどうかである。
因みに、きめ細かさの違いはあれ、調整を要するのは、出力制御できず単独では需要に合わせられない電源の仲間である原発とて同じである。緊急停止に備えた予備火力も原発は要る。原発だけがベースロードという特権を与えられ火力の調整幅を喰う。太陽光・風力は賦課金という犠牲を払っても促進している。燃料費の何の節減にもならない太陽光・風力を抑えないで、古いベースロードという考え方よりも柔軟性の確保の方が大事だ。ましてや、運転中に漏出する放射性物質の有害度はCO2どころではない。発生熱量の3分の2を温排水という形で海に流し地球を温めている。
・原発は放射能を出す電源だという国民の意見に対し、ゼロエミッション電源として環境の観点から何も欠点を言わない経産省の意見233ページ
発電時以外のウラン鉱山 温排水
資源豊富国 一回目 原発ゼロの会 214ページ
ドイツ 脱原発、石炭に野心的に取り組んでいる。
・石炭火力について
・テロ、戦争に対する不安
東大法学部 しっかりしろ 大手電力会社
2・24 40ページ 到達可能ミックス 東電原発 東京都の責任 沖縄と同じ構図 柏崎狩羽も親切も難しい
資源国かいなか
原発クリーンエネではない
テロの備えをすると 原発の建設コストが2倍以上になること。
2、クリーンエネルギーのコストはどんどん安くなって、原子力よりも火力よりも安くなったこと。
3、原発は海温め装置であり、地球を温めている元凶の1つであること。
11月14日、東京新聞の2面トップ記事
第四は、太陽光・風力のコスト認識の違いである。世界的な急速なコスト低下と普及拡大に、日本も、と大いに期待する大半の国民の意見に対し、資源エネ庁は賦課金の国民負担をコストに含めて捉え、その依然高いコストの低下が課題と言う。
しかし、買取価格は20年間変わらない。それを補填する賦課金支払いも20年間変わらない。従って、賦課金は、今後の太陽光のコストには埋没原価であり導入ポテンッシャルには無関連である。経産省の言い振りは、再エネを促進するインセンティブを阻害要因に変えてしまう自己否定である。そして、日本の太陽光のコストは海外パネルを使い低下が著しく既にグリッドパリティーの半分に達している。
私はかく思う。その賦課金を抑えることは、むしろ経産省、自らが負う課題である。経産省が自ら招いた制度初期の冗長な賦課金の認可未実施分の淘汰のことではない。
太陽光の発電され自家消費された残りの電気は、逆潮流といっても送配電線
の僅かを通るだけである。
既に決まった賦課金については、太陽光発電者が電気を送電線に送り込まず、その場で販売出来れば、託送料が掛からない分、今からでも減らすことが出来る。
今後決まる賦課金については、日本の太陽光のコストも海外パネルを使い低下が著しく既にグリッドパリティーの半分に達している今、固定価格買取制度に依らなければ、賦課金が無くなる上、電気料金より安く売ることも可能である。それを、送配電線を僅かに使っているがために、一般電力を助けるようにFITに依っている。送配電線を使う影響は需要の変動とも言える。発電した所で販売すれば文句無くFITを離れられる。例えば、借家人や近隣への電気販売の自由化、電気自動車への給電である。この方向で経産省は施策してほしい。尚、電気自動車は強力なデマンドレスポンスのツールになる。
資源エネ庁は第三、四の考え方から、2030年の発電シェアを、原子力と再エネを合わせたゼロエミッション電源44%の内、太陽光を7%、風力を1.7%とした。太陽光の現時点の発電シェアは6%弱に達し認可済み案件の一部を含めれば7%を既に超えている。今後12年間の伸び代が、あろうことかマイナスである。
私はかく思う。せっかくコストをかけ促進している再エネに抑制をかけなければならない政策矛盾が将来どうなるかわからない原発の枠取りの為に行われている。これがべースロードということか。送電でも。CO2削減目標に達しそうにない時、待ち構えて居さえすれば、あわや原発の再稼働と、許されるとでも思っているのだろうか。
私はかく思う。この計画は再稼働を必然とすると言うが、使用済み燃料の問題を隠す。バックエンドも安全神話の加護の元にあったではないか。バックエンドについて、原子力規制庁の安全性Sの視点からの検討はされていないではないか。
・策定中募集した「意見箱」
・基本計画(案)に対する「パブリックコメント」
・比較表も
安全神話から醒めたと事故を想定し、それをEの一つのコストに見積もり、安全性Sの検討は安全だと言わない規制基準に委ねた。この基準は安全だとは言わない。見積もったコストはおざなりだが、安全が経産省の言うコストだとは認めていない。
安全を分断し、お金、しかも今負担可能、測定可能、お金に換算するトリックである。
安全性を経済合理性に解体し
・2014年、前回の基本計画策定から3年間の情勢変化は無いとする政府に対し、大きく変わったとする国民 (3,26意見2/3) 一回目 原発ゼロの会
ネット 事故後の惨状
経産省は安全神話に醒め、福島級の事故を4000年炉に一回起こるとしてコストに参入してよしとした。福島事故の惨状が明らかになりその重さは当時より大きくなった。今では一度でも福島のような事故が起こってはならないと今は思っている。
使用済み燃料もプルトニウムも、減らすのは再稼働をやめること。
再稼働、サイクル、再処理 ーーー同時に止めるもの
規制委員会の判断に委ねる 再稼働申請に対し必ず許可の予め想定 越権行為 原発22% if 火力削減 結果としてzeroemi 44%以上むしろ歓迎
石炭火力 原発でCO2相殺
40%ぐらうなら今の電力システムでも 太陽光、風力
再エネ賦課金 火力の減で国民負担になっていない
2018年6月22日金曜日
我々は何故、原発を再稼働するか、そして気付かねばならないこと
原発のコストは、不確定で、長期的で未知で、金額換算しにくいものをたくさん含む。電気料金として現世代に請求できるものに限らざるを得ない算定コストには、これらの多くが捕捉されないで有る。洩れたコストは将来世代に付け回されるか、支払われない賠償金のように代償されないだけで無くなりはしない。資源エネルギー庁は、社会的理解を得れば無くなると言う。避難訓練をするのも、分からない放射線の影響に人が不安に思うのもコストである。除染が済んでも帰還者の少ないことから、土地のひとたびの汚染は土地の喪失であることに気付く。土地汚染コストを代償するには、除染費ではもちろん、放射能の及ぶ長い時間から見れば借地権に過ぎない土地代なぞで済むわけがない。
原発の建設費は、一基4.4千億円で見ていたものが、今や安全対策費の上昇により1兆円を超える。資本費において発電1kWh当たり、太陽光とほぼ同じになった。資本費以外の費用の差が両者のコスト差であり、これらの洩れたコストが大きい。燃料費と運転維持費は住宅用太陽光に至ってはほぼゼロであることを見れば、太陽光は高く原発は低く歪められるコストの本当の所が分かろうというものである。
前述の洩れたコストに目を背ける我々を、再稼働に駆り立てるのは、原発の動かした時と停止している時の少ないコスト差と危険度差である。減損費も含め資金も技術もなく、他にしようがないから止めたままでいる原発を少しコストを掛けて事故が無いだろう運転すれば、原発停止を補う代替火力の燃料費1.5兆円を節減出来、電気料金の上昇を抑えられると考える。しかし、この少ないコスト差や危険度差も電気料金の上のことで真実ではない。
運転した時だけ掛かる主なコストは燃料費と使用後燃料の処分費である。電気料金の前提の核燃料サイクル方式では、これらの費用は将来再処理抽出されるプルトニウムという資産に棚上げ打ち消される部分が大きい。しかも見積もりの金額は原発の安価神話と電気料金規制により抑えられ、何よりも、核廃棄物の処分地として国民がすんなり受け入れる前提である。しかし、核燃料サイクルは破綻しプルトニウムはゴミと化し再処理は無意味となり、再稼働すれば運転の都度、外国に依存する燃料を消費し全量使用済み燃料を間違いなく生み出す。この使用済み燃料は誰もが引き受けを断るほど、10万年も掛かり続けるほど、莫大な処分費が掛かる。
我々は、原発の真実のコストを補償できないまま再稼働する心の底の罪悪感を、原発の真実のコストを捉えていない電気料金に全面的に依拠することによって、押し隠す。核兵器の原料を作るための発電、或いは将来の核保有が目的の政治家と官僚がどうあれ、我々は彼らに操作、誘導もされ上記の論理で再稼働を許す。
我々はもうそんなことをしないで良いように、原発をきっぱりやめられるように、今、二つの問いを発する時である。
我々国民は原発をやめるためなら、どんな負担も甘受するのではなかろうか。やめるためのお金こそ国が日銀にお札を刷らせ工面し、その影響をどう被ろうと国民は我慢するのではないか。使用済み燃料も、もうこれっきりならば国民は受け入れるのではないか。原発をやめられれば賦課金の支払いも厭わないのではないか。
二つ目の問いは、原発無くて出来る限りのCO2削減目標で何故いけないのか。CO2の削減は、それより悪い放射能を出してまでやることではない。
我々はもうそんなことをしないで良いように、原発をきっぱりやめられるように、今、二つの問いを発する時である。
我々国民は原発をやめるためなら、どんな負担も甘受するのではなかろうか。やめるためのお金こそ国が日銀にお札を刷らせ工面し、その影響をどう被ろうと国民は我慢するのではないか。使用済み燃料も、もうこれっきりならば国民は受け入れるのではないか。原発をやめられれば賦課金の支払いも厭わないのではないか。
二つ目の問いは、原発無くて出来る限りのCO2削減目標で何故いけないのか。CO2の削減は、それより悪い放射能を出してまでやることではない。
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