2017年5月6日土曜日

放射性廃棄物の貯蔵地が決まらない理由

原発を容認する多くの人の「福島の事故コストの工面を始め、放射性廃棄物の貯蔵等所謂、原発の負の遺産を片付けるには、原発の事故が無いだろう運転に賭ける他無い」という考え方は 的外れです。
原発の継続方針の一事こそが、負の遺産を片付ける最大の障壁になっているからです。
何故なら、原発事故と放射性廃棄物の増加を、もし「もうこれっきり」にするならば、つまり今きっぱり原発を諦めるならば、状況が一変するでしょう。原発に反対する七割の国民は、苦しいけど頑張って、安全だと騙されたとはいえ自分達がふんだんに電気を消費し高度成長を謳歌した結果出した放射性廃棄物の貯蔵を引き受けようとします。
原発を再稼動する限り、政府と官僚は安全神話の「だまし役」を、事故想定はしたけれども降りてはいません。降りていない人の降りたような言いぶりに対し、人は俄かに従えないものです。3.11後も増える続ける廃棄物などは引き受けたくないのは当然です。
政府と官僚が、国民に原発の負の遺産の始末を課すのはいいでしょう。しかし、正にその原発を再稼動し今後も共生を強いていることこそが、国民の、原発と金輪際、縁を切られるなら人肌脱ぐという態度だけでなく、自分の失敗として尻拭いする態度さえ引き出せない根本原因であることに、全ての人々は気付かなくてはいけません。

2017年4月16日日曜日

原発の紛争時の危険とコストの認識を

北朝鮮の日本への攻撃が有りうることは日米韓は認めていても、北朝鮮の ミサイル攻撃からの原発の安全性についての論評や防備対応が検討されたといった記事を一切見ない。規制委員会も何も言わない。核を搭載していない通常ミサイルがたまたま原発に当たってしまったと言い逃れて、核先制使用の非難を受けること無く核ミサイルと同じ被害を与えられるから危ない。原発イコール核弾頭という恐怖と対策防備の高コストにより原発やめようということになるから政府も規制委員会もメディアもこの危険に触れないのか。それとも平和呆けなのか。或いは、此の期に及んで、不安を煽っての混乱を心配するなら、国民の命を代償にする安全神話が未だに続いているということではないか。確かなことは、紛争時の原発へのミサイル攻撃や空爆の危険は度外視されていることである。
我々は今もっと、この危険に向き合わなくてはいけない。原発の地震だけでない真の怖さとコストを認識しなければならない。

2017年3月12日日曜日

原発を「もうこれっきり」にすれば全てがうまくいく

原発のコストが安いこと、ベースロード電源としての役割、CO2削減に原発でなければならないことが全て嘘と分かりました。また、再エネ電気の不安定性は、原発を再稼動したい一般電力が過大に言い、原発の無意味なベースロードこそが変動吸収幅を狭めていることが分かりました。何よよりも電気は十分足りています。それなのに、何故、政府と官僚は原発を再稼動するのでしょうか。
安倍首相や政府、官僚の一部の人々に表の理由と裏の本当の理由があります。将来の核保有のためと西側の原発輸出国としての日本の役割維持のために再稼動が必要と本当に考えています。この裏の理由は、一旦核を使えば核の使い合いになるか、先に使ったほうが世界の国々から抹殺されることを分かっている国民にとって、とうてい支持できるものではありません。中国の脅威がいかに高まろうともです。ましてや、核保有如何は再稼動とは無関係のことです。小泉元首相の説得に対し聞く耳を持たず、黙して語らない彼らを追い詰めねばなりません。
彼らの表の理由は、「福島の事故コストの工面を始め放射性廃棄物の貯蔵等、所謂、原発の負の遺産を片付けるには原発の事故が無いだろう運転に賭ける他無い」という考え方です。政府や官僚と原発を容認する議員や国民の大方の根拠にもなっています。この表の理由は国民の気持ちを分からないことから来る大きな勘違いです。なぜなら、原発の継続方針の一事こそが負の遺産の片付く見通しの立たない原因だからです。使用済み燃料の貯蔵地を探すにも、それをわがままにも相変わらずを出しながらと、これっきりと言うのでは大違いです。
何故なら、原発事故と放射性廃棄物の増加を、もし「もうこれっきり」にするならば、つまり今きっぱり原発を諦めるならば、状況が一変するでしょう。
原発に反対する七割の国民は、苦しいけど頑張って、政府が言っている以上に手厚い被災者と作業員への賠償や手当て、除染、廃炉コストを、税金や電気代で惜しまず負担します。
そして、安全だと騙されたとはいえ、自分達がふんだんに電気を消費した結果招いた放射性廃棄物の貯蔵を引き受けようとします。原発を止めないでは原発を守るための貯蔵に摩り替えられてしまい受け入れられません。
帰還先に原発がもう無ければ帰還する人も増え、主体的に復興に向けて取り組むようになります。経済に関しては、今、原発に対し行われているような国を上げてのf技術革新と振興の取り組みを再エネにシフトすれば、日本だけでなく世界経済に貢献できます。
嘘をついてまで大きなものと外面を大事にする安部政治が化体したような子供の苛めの頻発も、原発をやめ「もうこれっきり」にすれば収まるでしょう。何故なら、原発は再稼動するだけの意義あるものという見方が、原発が虐めた人達を汚染水の流出を隠すように孤立させ、その被害を矮小化しています。オリンピックのための復興の筋書き通りに被災者が行動しなければ、現在のテレビと政府寄りの新聞を見ている子供らには国民に賠償金をせびるように見えてしまうのでしょう。
原発を再稼動する限り、政府と官僚は安全神話の「だまし役」を、事故想定はしたけれども降りてはいません。降りていない人が、原発の負の遺産ではなく将来も発生し続ける副産物を貯めてくれと言っています。これっきりだから、貯めてくれというのとは大きな違いです。原発を再稼動し今後も共生を強いていることこそが、国民の、原発と金輪際、縁を切られるなら人肌脱ぐという態度だけでなく、自分の失敗として尻拭いする態度さえ引き出せない根本原因であることに、全ての人々は気付かなくてはいけません。

2017年3月8日水曜日

政府と官僚は帰還者が少ないことから気付かねばならない。

除染は済んだというけれど帰還する人は少ない。
学者がどう言おうが、いかに除染しようと、放射能のような人間の手に負えない未知のものに汚された土地に対しては、人々は安心できないのだ。
基準自体にわかに信じれないことはもとより、忘れたい、気持ち悪いという思いが先に立ち、育ってきた土地への愛着さえ消え去るのだ。私が除染作業をしていた郡山のどのお宅も3.11以降、庭は手入れされず荒れ放題であった。
原発事故コストの内、土地の毀損に関するコストは除染のコストだけだが、いかに除染しても元に戻ることはあり得無い。政府はずっと無視してきた、この一旦汚染された土地への不安自体を原発のドローバックとして認め、事故コストにカウントしなければならないのだ。
端的に言えば、土地の毀損コストは除染コストでなく、土地を喪失するコストなのだ。
ましてや、喪失する土地に対する我々の所有権は未来の人からの借地権にすぎない。
過酷事故が起こるものとしてまで、土地を喪失してまで、電気を得る必要があるのだろうか。しかもその電気は十分足りている。まずは、政府と官僚が考えるほど土地を汚染することが生易しいことでないことを、帰還者が少ないことから気付いてほしい。




2017年2月28日火曜日

「もうこれっきり」の忘却

       
福島の事故コスト負担を誰がするかばかり取り沙汰され、その時、それが今後も繰り返されるものかどうかは話題にすらならない。
放射性廃棄物は、原発を止めても既に膨大な量が溜まっている事実がある。だから原発を止めようが止めまいが廃棄物処理の問題は変わらないとなる。
除染が済んだので、復興したので、避難解除せよと言う。帰還先になお原発があり続けるかどうかについては触れられない。
しかし、福島限りの事故で廃棄物も「もうこれっきり」であれば、我々は負担と廃棄物を引き受け、帰還者も増えるのではないか。「もうこれっきり」であれば、政府が言っている以上に手厚い被災者への賠償を、税金や電気代で惜しまず負担するのではないか。
避難訓練、ヨウ素剤配布、原子力発電所の安全性は万全だ。よし、再稼働しようとなる。いつのまにか「もうこれっきり」を譲り放棄した上でのことがどこかに忘れ去られている。
一般電力が潰れる、原子力産業が衰退する、電気料金が上がる、経済が不振になる。核保有の望みが絶たれる、新興国の原発は日本の輸出でなければ中国、韓国に牛耳られ米国に怒られる。だから再稼働しなければとなる。大飯の再稼働の「電気が足りない」はもう無い。これらは、「もうこれっきり」を放棄してまでしないでも他にやれることはいっぱいある。
我々は、政府と官僚の何が何でも原発継続貫徹が土台にある諸施策の内容の欠陥と不正を衝くことに終始することなく、土台から変えるよう「あなた方が我々に負わそうとする以上の犠牲を喜んで引き受けます、もうこれっきりにしてくれれば」と声を大にして言おうではないか。被災者と手を携えて。


2017年1月5日木曜日

新電力は原発電気を貰ってはいけない。再エネ電気を買い取ろう。

  

 昨年末、政府は福島事故の賠償費用を新電力にも託送料に乗せて課すことを閣議決定した。新電力に切り替える一般需要家も過去に原発電気の恩恵に与っていたので、事後費用を平等に負担せよとのことだ。9月から各新聞が徐々に報道し世の中の反応を見ながら事故コストの内お涙頂戴の賠償に絞り、ごり押しする政府の何時もながらのやりくちだ。原発を止める民意は一顧だにしない。
原発電気を卸市場へ出して新電力の供給力を補うことを交換条件にしている。新電力は原発電気を絶対、貰ってはいけない。貰ったならば、新電力が、否、電力自由化が原発の継続を助ける道具に成り下がる。そして事故が起こるたびに負担は繰り返す。
 新電力への事故コストの賦課と同じことが、再エネを通じて既に行われている。再エネ電気は一般電力に回避可能費用で仕入れられ送配電費用、即ち託送料相当を配賦され電気料金で販売されている。事故コストは誰に断ることなく課せられている。
そして、再エネについては事故コストの賦課よりはるかに影響額の大きい酷いことが行われている。
 再エネは本来地産地消のエネルギーで、発電された所で自家や近隣の負荷で消費されている。そこでの購入電気を減らし少なくとも電気料金の価値がある。一般電力に安く買い取られ託送される必要は全く無い。新電力が再エネを買取り販売すれば、再エネ電気の地産地消の価値を生かし託送料が根っ子から不要になる。これにより、電気料金と回避可能費用の差、即ち託送料相当の賦課金32兆円が減る。
そして再エネ電気を分けて販売できるのは新電力だけだ。再エネ電気の発電者からの買取を新電力に委ねれば、新電力の供給力が確保されるだけでなく、需要家は再エネ電気を分けて購入出来、何よりも賦課金の国民負担の窮状が大きく救済される。
新電力が再エネ比率が上がった時、同時同量をとる難しさの解決策は「電力自由化について」に述べている。
そして一番大事なことは、政府は国民に、事故コストも負担させ原発も継続するでは済まされない。負担させるからには福島限りの事故コストとする決断が必要である。

2016年6月21日火曜日

参院選の争点隠しは憲法違反


選挙において、或るイシューについて政権が争点から外し民意を問う場にしないことは、主張や内容を国民に訴えないということである。そのイシューについて政権が重大な意思を持ち或いは進めており国民の間で賛否が分かれるなら、「何人も法律の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有する」という憲法第16条に抵触する。
条文の「請願」の意味は国会議員や政府へ行う陳情だけでなく、国民が自分の意向を汲む議員を選ぶことを含んでいる。そのためには候補者の主張を国民が「平穏に」判断できるよう候補者の方から国民によく説明がなされる前提がある。自公政権は、憲法の改正案は今後細部の変更があるから国民が判断するのは先の国民投票でよいと言う。これは詭弁であることをはっきり言わなくてはいけない。国民投票に掛けるような重要なことはいきなりでなく、その前から国民は理解と熟考の積み重ねの機会を何度でも与えられることが「平穏」の意味することである。ましてや、改正案と閣議決定された集団的自衛権が示す通り政権の方向性は明らかであり、しかも改憲発議できる議席数に達せば堰を切って進む不安を多くの国民が感じている。電気は十分足りている上、福島事故の収束に悪戦苦闘しているのに政権は、国民の反対する意見を押し切って原発の再稼動と輸出を行っている。こうした政権の矛盾を選挙において土俵に上げないで、国民は憲法16条の国政への関与の権利、即ち平穏に請願する権利をいつ何時、行使するというのか。ましてや、18歳から20歳になる人が国政選挙で初めて投票する。
政権政党から争点とされなくても、戦争法案と原発については、国民が政権政党に投票している限り国民の意に反して進んで行くことを見落としてはならない。