除染は済んだというけれど帰還する人は少ない。
学者がどう言おうが、いかに除染しようと、放射能のような人間の手に負えない未知のものに汚された土地に対しては、人々は安心できないのだ。
基準自体にわかに信じれないことはもとより、忘れたい、気持ち悪いという思いが先に立ち、育ってきた土地への愛着さえ消え去るのだ。私が除染作業をしていた郡山のどのお宅も3.11以降、庭は手入れされず荒れ放題であった。
原発事故コストの内、土地の毀損に関するコストは除染のコストだけだが、いかに除染しても元に戻ることはあり得無い。政府はずっと無視してきた、この一旦汚染された土地への不安自体を原発のドローバックとして認め、事故コストにカウントしなければならないのだ。
端的に言えば、土地の毀損コストは除染コストでなく、土地を喪失するコストなのだ。
ましてや、喪失する土地に対する我々の所有権は未来の人からの借地権にすぎない。
過酷事故が起こるものとしてまで、土地を喪失してまで、電気を得る必要があるのだろうか。しかもその電気は十分足りている。まずは、政府と官僚が考えるほど土地を汚染することが生易しいことでないことを、帰還者が少ないことから気付いてほしい。
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