確かなことは、原発はやめられるなら、やめるに越したことはない電源だということ。そして、確かなことは今、原発が無くてもやっていけているということ。
「やめなければ」と切実に思っていない人でも、この二つで、原発をやめるに十分ではないか。
CO2削減のために原発を再稼働することは、CO2より悪い放射能を出す原発として本末転倒である。原発をやめることは、CO2削減より遥かに重い。全力で原発ゼロで持ち堪え創意工夫してみてもなお削減が足りないなら、そのことと福島の状況を世界に説明し削減の遅れを情状酌量してもらおうではないか。どこまで出来るかやってみるつもりで、基本計画を原発ゼロの目標値で作り直すべきである。
基本計画の、2030年、太陽光の比率7%は、現在、既に7割強達成し認可未稼働分を含めれば優に超えているので、今後12年間、認可を一部取り消し新たな設備認可はゼロという数値である。原発ゼロどころか真逆の太陽光ゼロの計画である。
資源エネ庁の失敗による無駄な賦課金を太陽光のコストのせいにして、いつまでも太陽光はコスト低減が課題と言い続ける。太陽光・風力は火力を伴い、蓄電池も高いのでCO2削減が出来ないと一点張りで真価を生かそうとしない。
太陽光のコストの低下は予想を遥かに超え、既に10円/kWhを割っている。送配電線を使用しない太陽光・風力の電気を消費する簡単で確実な方法も有る。例えば、電気自動車への補給等である。
原発をやめるに必要なお金は、「アベノミクス」の日銀増刷券で賄おう。その影響をどう被ろうと、国民は原発をやめられるなら耐え忍ぶ。使用済み燃料も原発をやめるなら引き受ける。
2018年6月16日土曜日
2018年1月18日木曜日
再エネ電気を解き放て
自動車はガソリンスタンドにガソリンを取りに行く。電気自動車は発電所に電気を取りに行ける。分散して在る再エネ発電所の産した電気を、電気自動車が送電線に全く頼らないで消費することができる。地産地消とは出来たものをもとより持つ価値どおり生かし使うということである。再エネの本来具有する真価を生かしさえすれば、固定価格買取制度(以下、FITと言う)の賦課金の過酷から国民を救済し、また原発をやめることができる。
せっかく消費地に近い所で作られる電気を何故、わざわざ大手電力に売り、一旦、一極集中の発電所に集め、またフルの託送料をかけて買うような面倒なことをするのか。何故クリーンさで溢れる再エネを回避可能な火力などの代わりに送り届けるのか。何故、その場ですぐ売って使わないのか。発電された電気そのものを直接手にすることができるではないか。余計な賦課金が無くなるではないか。振興したい電気なら少なくとも、まず、その持つ価値を活かすのが普通だろう。振興したいものをわざわざ虐げて何故振興できるのか。
電力会社が再エネ発電所から買い取る時、電力会社は発電所に固定買取価格で支払い、負担する回避可能費用の約9円/kWhとの差額を国から交付金を受ける。回避可能費用とは電力会社が再エネを入れて無くせる、即ち回避できる火力燃料価格である。回避できる設備費は長期的なこととして考慮されていない。再エネを入れたことで電力会社の損得が変わらないよう配慮されている。火力燃料の代わりに再エネ電気を仕入れ、わざわざ一極集中発電所から末端需要家まで送配電線で送り届けることと同じ意味を帯びてくる。
しかし、再エネ電気は自家消費されているようにその場ですぐ使える。消費地に散在する発電所の余剰電気は配電線を通っても近い負荷から順に殆ど自家消費のように使われている。当然、電気料金26円/kWhの価値は少なくとも有る。これが9円/kWh に17円も貶められる。交付金の原資は賦課金であり、この17円/kWhも国民の賦課金で埋め合わせている。新電力が買い取っても同じである。送配電線に少しでも乗る限り、一般電力と同じ回避可能価格を負担するように交付金を受け、託送料金を課せられ販売する。尚、電気の取引は単に財務的なことで、それがどうあれ、電気の物理的な流れは変わらない。
この回避可能費用を埋め合わせている17円/kWhの賦課金が何かというと、一極集中発電所から末端の需要家まで送り届ける費用でないならば、総括原価方式の中で共に公表されず埋没しているという点で、停止中の原発を維持する費用、年1.4兆円に充当されている。賦課金の意味の無い賦課金である。固定買取価格が電気料金以下になった今後は、この無意味な賦課金のためだけにFITが有る。
再エネ発電所が、電気を送配電線に乗せず需要家に直接売れば、回避可能費用を埋め合わせている17円/kWhの賦課金は無くせる。電気料金で売り、固定買取価格との差の交付金を発電所が受け取る。発電所が電気自動車に給電すればこれが出来る。間に新電力が入っても良い。その場合は送配電線に乗せないから、新電力は託送料金を掛けられず受け取る交付金は埋め合わせの賦課金だけ少なくてよい。
太陽光発電だけ取ってみても、埋め合わせの賦課金は37兆円と膨大な金額である。この内、発電所ごと買取の期間20年間の今後の発電分について、電気自動車に給電すれば無くなる。既に払った埋め合わせの賦課金、即ちFITが始まって8年間で10兆円とすると、残り27兆円程が、電気自動車に給電することにより減らせるチャンスがある。
埋め合わせの賦課金37兆円の算出過程は以下の通りである。
太陽光発電の固定買取価格は、産業用が40円から始まり今18円/kWh(住宅用が42円から今26円/kWh)に推移していることから、今まで認可され稼働する設備の買取の平均価格を31円/kWhとしよう。賦課金は回避可能価格9円を越える22円/kWh。埋め合わせの賦課金17円/kWhはその77%。今までの設備の賦課金の77%、固定買取価格が電気料金以下になった今後の設備については全部が埋め合わせの賦課金である。
2017年に電力中央研究所が買取りの終わる2050年までの累積賦課金額を69兆円と試算している。この内、太陽光は45兆円としよう。内、今後、認可稼働する設備分を10兆円としよう。この全部とこれを除いたものの77%が埋め合わせの賦課金で37兆円 [(45−10)x77%+10 ]。
FITを外れ買取期間が終わった後も、国民に直接売ることである。何故かを、FITに触れながら述べる。
固定買取価格の元になる「各再エネ発電コスト」は、エネルギー長期受給見通しの中の「電源種別電気コスト比較」と当然ながら算定の諸元は互いに整合している。資源エネルギー庁はその長期受給見通しやその前に行われる基本計画の策定において、原発とエネルギーの特質が競合し代替的な再エネ、中でもポテンシャルが十分で二者択一にもなりそうな太陽光はコスト競争力が極めて劣るという議論を展開した。太陽光のコストは恣意的に高く算定され、それが元になる固定買取価格も高くなった。一部のメガソーラー業者の利益誘導に引っ張られたただけではなかった。
2012年に制度開始して3年ぐらい、この甘すぎる買取価格を察知した事業者が設備認可を求めて殺到し、高い買取価格、つまり賦課金の大きい設備が制度を通して偏って多く占めるに至った。製造技術向上や量産効果による設備費の低下に連れて着実に普及すればよいものを、大規模ソーラーの正に無用に早すぎる設置により、20年間の冗長な賦課金の支払いを背負い込んだ。国民には太陽光のコストは高くて原発には置き換われないと思わせるに十分なほど高い価格で、賦課金を負担する立場でもある個人の住宅用太陽光の普及は停滞している。
固定買取価格は、設備費等総コストを稼働する期間の売電収入で回収できる、発電量当たり単価で決められる。収入や支出の現在との時間差は割引率で調整される。この割引率による割引額が利潤である。
尚、コストの比較においては、収入の割引額の利潤(これを資源エネ庁はIRR相当と言っている)を除く。FIT対象ということで収入に加えたインセンティブを原発の立地交付金等と同列に政策経費コストとして扱うなら、IRR相当からその部分を抽出したものだけである。もっとも、IRR相当全体が他エネルギーの利潤、即ち電力会社の利潤を越えない範囲ならば無視してよいものである。
太陽光の、燃料と運転業務を要しない低いリスクを全く考慮しない高い割引率、産業用の設備認定から着工までの約3年の間に起こる設備価格の急低下を見落とした設備費が諸元とされた。
固定買取価格を高くする恣意性の最たる諸元が稼働期間である。稼働期間を関係事業者からのヒアリングという安易な方法で、あろうことか産業用買取期間と同じ20年とした。太陽光の発電耐用年数はメーカーの25年や30年の発電量保証期間や過去の設備から考察して35年としても決して長くはない。太陽光初期の技術で設置された長崎県尾上島灯台(シャープ1966年設置)、奈良県壷阪寺の観音像の照明(シャープ1983年設置)、千葉県佐倉ソーラーセンター(京セラ1984年設置)が今も立派に発電している。
前提の稼働期間を超えて発電される電気が有り、その電気を当初、勘定に入れず算定された固定買取価格はその分嵩上げされ賦課金を増やす。従って、前提の稼働期間(20年)の後の電気は、その賦課金を既に負担し終わった国民のものである。
電力会社の買取期間(20年)経過後の買取価格は、固定買取価格から交付金が外れた、即ち負担していた価格と同じ回避可能費用の9円/kWhとほぼ同じ価格になるらしい。これでは国民の財産をメガソーラーと電力会社で山分けするようなものだ。国民に、より低廉に発電所が電気自動車の補給を通じ売れば、太陽光発電の耐久能力が実力通り生かされ払い過ぎた賦課金が国民に還元される。
住宅用の太陽光の買取期間は10年で2019年から早速,、買取価格が9円/kWhになるものが出始める。発電者にとり2019年問題と言われ憂慮されている。しかし、この方針が出る前までは、買取期間後の買取価格は当時の買取の一般的価格の電気料金で固定価格の算定に織り込まれている。
2002年からのRPS法では、電気料金で買い取られていた。2009年に始まった住宅用太陽光の買い取り優遇制度でも、その電気料金に10年間、色を付けるというものだった。2012年、全量買電制度が始まった時から電力会社に何の負担もない回避可能価格になったが、買取期間後の買取価格とは切り離されていた。
原発が止まり電気を補おうと自宅の屋根に設置した国民の代表が損してまで、電気が足りてもなお原発を保持する電力会社を支援することになる。21年目以降は産業用と同様、広く国民に還元するのが正しい。充電器を付けマイカーに補給して自家消費を増やし、それでも余剰の電気はご近所の電気自動車にも売ればよい。11年目からは出来るだけ電気料金に近い価格で、そして21年目以降は低廉な価格で。
2015年の「エネルギー長期受給見通し」策定において、福島事故を起こしても尚、原発を継続する理由として、資源エネルギー庁はCO2削減、自給率、コストの三つ、即ち3Eにおいて原発が電源種の中でトップであることを上げた。前回2010年策定時の3Eに加え、安全性のSにより、事故コストを原発のコストに見積もり、策定方針を、民主党政権発足時の高いCO2削減目標における原発の推進から必要最小限に変更した。具体的にはゼロエミッション電源、即ち原発と再エネを合わせた比率70%を44%に下げ、内、原発が3Eでトップだから2030年20〜22%どうしても必要とした。3.11後原発ゼロの期間が有ったにも拘らず、前年の2014年に策定されたエネルギー基本計画でも原発はベースロード電源として位置付けられているからと、原発をゼロでいけるかどうかという定量的な議論・検討は一切無かった。
この時、資源エネルギー庁はCO2削減では、自然条件によって出力が大きく変動し調整電源として火力を伴う太陽光と風力は削減効果が火力に打ち消され、原発には置き換われないと断じた。そして、自然条件に左右されない地熱・水力・バイオを原発に置き換わる再エネとした。発電が常にフラットな原発をのこぎり刃状に変動する太陽光、風力で直接置き換えようとするなら資源エネ庁の言う通りであろう。しかし、原発は火力を一定発電で置き換え、太陽光と風力は変動発電で火力を置き換え、それぞれCO2を削減する。後者の変動を調整し吸収するのは、元々残っている火力他の電源と変動する需要そのものである。この吸収の幅を一定発電しかできない原発が狭める。というだけの話である。
別の説明の仕方をすると、原発は一定発電しかできず、夜の余剰電気は揚水式水力で吸収し、昼の高い需要を火力で補っていると言える。太陽光・風力を火力で調整しなければならないことと何の違いが有ろうか。柔軟に発電量を操作出来ない電源は、どの道、それが出来る電源に補完され大変さは同じである。太陽光・風力にCO2の出ない揚水発電による調整も可能だ。だから、CO2削減を原発が出来、太陽光・風力は出来ないというのは詭弁である。
尚、この揚水式水力はコストもシェアも再エネとしてカウントされていることは、原発シェアを伸びやすく働く。
そして目的のエネルギーミックスは、発電設備構成でなく発電量の構成である。結局、系統安定の技術や費用の違いは有るにしても、置き換えは出来ないというのは間違いである。単に太陽光・風力よりも原発を選択したいと言っているにすぎない。
原発がCO2より悪い放射能他の危険物質や温排水を放出することは一顧だにされなかった。太陽光の環境問題は避けるべきでも、原発のように取り返しのつかないように自然を破壊するものではないことはミックス論議で踏まえておくべきことである。それに住宅の屋根はいっぱい空いている。
出来た電気を送電線に送り込まなければ、変動の調整はもちろん送配電容量も不要で系統を不安定にすることもない。自動車の動力補給は毎日でないし、1日では日照時に多く、電気自動車は太陽光のピーク電力を掬い取る。こうして電気自動車全体で巨大な蓄電池の役割を果たす。しかも、後で関係するが、移動できる、電気を運ぶことの出来る蓄電池である。足りない時は買電によるものの、分岐の売電メーターにより発電所から電気自動車に直接補給し、自家消費を除いては全てが送配電線に送り込まれる電気量は逓減することができる。こうして、電気自動車が太陽光と風力の送配電線にかける負荷の問題を解決し、一気に電源比率の上の制約から解放される。
資源エネルギー庁に有無を言わせず太陽光と風力はクリーンさが100%生かされ環境のEで原発を凌ぎ、原発に置き換わりうる。
元々、火力の輸入を増やすことはないので安定供給のEでも原発を凌ぐ。送電網に頼らない完全に分散独立した電力となり、一基が事故を起こせば全てが止まる原発の対極に至り、国内における供給安定性で原発を遥かに凌駕する。
原発のコストは、不確定で、長期的で未知で、金額換算しにくいものがたくさん有る。現世代に電気料金として請求できるものに限らざるを得ない算定されるコストには、これらの多くが捕捉されないで有る。洩れたコストは将来世代に付け回されるか、支払われない賠償金のように代償されないだけで無くなりはしない。資源エネ庁は社会的理解を得れば無くせると言う。分からない放射線の影響に人が不安に思うのもコストである。除染が済んでも帰還者の少ないことから、ひとたびの汚染は土地の喪失であることに気付く。除染費ではもちろん、放射能の及ぶ長い時間から見れば借地権に過ぎない現世代への土地代なぞで、土地の汚染コストが代償されるべくもない。
原発の建設費は、4.4千億円で見ていたものが、今では安全対策費の上昇により1兆円を超える。資本費において、発電1kWh当たり、太陽光とほぼ同じになった。洩れたコストも含め、それ以外の費用の差が両者のコスト差となる。運転維持費と燃料費は、住宅用太陽光に至ってはほぼゼロであることを見れば、太陽光は高く原発は低く歪められれるコストの本当の所を知るに、この一事で十分である。
この原発の動かした時と停止している時の少ないコスト差が、我々を再稼働に駆らせる。廃炉しようにも今すぐ、減損費も含めお金も技術も無く、他にしようがないから停止のままでいる原発を少しのコストをかけ事故が無いだろう運転できれば、原発停止を補い代替している火力燃料費1.5兆円を削減出来、電気料金を抑えられると考える。しかし、原発のこの少ないコスト差も電気料金の上でのことで、真実ではない。電気料金の前提の核燃料サイクル方式では、コスト差の太宗の燃料費と廃棄物処分費はプルトニウムという資産に棚上げされ打ち消される部分が大きく、しかも、安価神話と料金規制により金額は抑えられている。何よりも、核廃棄物を処分地として国民がすんなり受け容れる前提である。しかし、核燃サイクルは破綻し再稼働すれば、外国に依存する燃料を消費し、国民の誰もが引き受けを断るほど、10万年も掛かり続ける程、膨大な処分費が掛かる使用済み燃料を、運転の都度、間違いなく生み出す。
原発のコストの話をする前に、我々は原発の真実のコストを捉えていない電気料金に全面依拠することによって、原発の真実のコストを補償できない心の底の在悪感を補償していることに気付かねばならない。
本来ベースロード電源とは、指令に応じて出力を変えられないものを言い、原発や太陽光や風力がこれに当たる。ミックスに含めたらベースに置くしかないといううに過ぎず何か必要性を示すものではない。資源エネ庁の言うベースロード電源の定義、コストが安く一定発電するものとしても、原発のコスト安が嘘だと分かった今、ベースロードだから原発がミックスに無くてはならないとはならない。指令に応じて出力を変えられない欠点を、CO2削減で太陽光・風力だけ殊更論い、ベースロード電源では、原発だけ逆に長所のように言う。限界費用がゼロの再エネを如何に捨てずに無駄なく使うか大事でベースロード電源という考え方は非現実的である。
原発は三つのEの二つで最悪で、どれ一つとして原発を保持する理由がない。
長期受給見通しにおける方針の一つに、「自然条件によって出力が大きく変動し、調整電源としての火力を伴う太陽光と風力は、国民負担抑制とのバランスを踏まえつつ、電力コストを現状よりも引き下げる範囲で最大限導入することを見込む」ということがあった。この結果、太陽光は2030年発電比率7%とされた。これは前年の2014年に系統接続保留問題を引き起こした設備認可量71百万kWとほぼ同量であった。この方針の意味は、原発に置き換わり得ないと決めた太陽光・風力は賦課金を含めてのコストが電気代を下げるように寄与しなければ、これから策定する発電比率を上限とするということだろうか。だとしたら、20年間続く初期の冗長な賦課金と回避可能費用を埋め合わせる賦課金はどうせよというのだろうか。2017年で、2030年の7%を既に導入量で7割強達成し、認可未稼働分を含めれば優に超過する発電比率は、今後12年間、一部認可を取消し、新たな設備認可はゼロか。
太陽光の原発を代替するポテンシャルの伸びは我々の予想を遥かに越える。今は太陽光発電コストは外国メーカーパネルを使えば産業用で10円/kWhを割っている。因みに長期受給見通しでは2030年にやっと14円/kWhだった。さすがに固定買取価格も産業用が既に電気料金を下回り住宅用がほぼ同一水準まで下がった。これからの太陽光電気は送配電線に乗せなければ賦課金は全く無い。電気料金を遥かに下回る安さを生かした価格設定が自由に出来、新増設すればするほど自由化された市場における電気料金を引き下げる。電気自動車に給電すれば、送配電やピーク余剰の問題もなく、エネルギーミックスの太宗を占めることもできる。
大手電力会社が未稼働の原発の送電線枠を予め設定して再エネ発電事業者の連系を拒否する事態が起こっている。未稼働の原発の枠とは長期受給見通し2030年原発比率20〜22%を見越しているのだろうか。この値は、廃炉決定済みの16基の炉を除く41基の内、2030年運転期間40年未満のもの18基と運転期間を40年から60年に延長するもの12基、計30基でやっと達成できるものである。新増設の一歩手前である。電気が余りこそすれ不足の心配は無く7割の国民が原発に反対し一基とて再稼働がままならない。正に今、未達どころかゼロになるかもしれない原発比率を補う心配をしなくてはならない時である。資源エネルギー庁がその頓著すらしないのは将来、CO2削減上の電力不足を持ち出した時、廃炉しないで待ち構えて居さえすれば必要な原発の再稼働が許されると思っているのだろうか。
水力、地熱、バイオは原発ほどでなくとも国の御膳立てが必要で、設備やパーツの量産効果を狙うFITに丸投げしていては進まない。更にバイオの設備利用率低下による未達を太陽光を中心に担わなければならない。電気自動車の動力需要の純増もある。今、正に設備化或いは稼働されようとする再エネ発電所の芽を摘まないことが、如何に大事なことか。
資源エネルギー庁が何が何でも原発と言うのであっても、或いは送電線空容量不足が電力会社が言う通りと仮定しても、再エネに原発が送電線で締め出される心配は無用だ。何故なら、賦課金の過重に耐えきれず、また原発に反対し環境プレミアムを払っても純粋無雑な再エネを購入したい国民が、電気自動車で再エネ発電所に電気を直接、補給しに行くようになるからである。こうして電気自動車の普及の進展に連れて再エネ発電所の送電線利用量は消滅に向けて漸減していく。再エネの新たな連系に当たっては、制約なく解放し思う存分、伸ばさせておかなければ、福島直後、あれだけ心配した電力不足が遅れて現実のものとなる。
自動車メーカーは給電スポットを全国津々浦々に作り電気自動車にクリーンなエネルギーを給電したい。新電力は法外な託送料金と供給量確保に苦しんでいる。再エネ発電所は自動車メーカーに充電器を付けて貰い、新電力に買取仲介して貰い、自動車のソーラー充電スタンドを運営すれば良い。
電気自動車と住宅用太陽光は先行する米国を見てもシナジー効果は抜群である。屋根からの太陽光電気をマイカーに補給するだけでなく、マイカーに充電した電気を家庭に補給することも出来る。更に、ご近所のお宅の電気自動車にも給電してあげられるよう、新電力と自動車ディーラーにお客様との取り次ぎをして貰えば良い。住宅用太陽光はメインテナンスは不要だし移設技術も進化しており、日本全国の住宅の屋根等のスペースはいくらでも開いている。電気自動車は家庭用を始め民生用の電気も送電線に成り代り運ぶことができる。
しかし、再エネ電気は自家消費されているようにその場ですぐ使える。消費地に散在する発電所の余剰電気は配電線を通っても近い負荷から順に殆ど自家消費のように使われている。当然、電気料金26円/kWhの価値は少なくとも有る。これが9円/kWh に17円も貶められる。交付金の原資は賦課金であり、この17円/kWhも国民の賦課金で埋め合わせている。新電力が買い取っても同じである。送配電線に少しでも乗る限り、一般電力と同じ回避可能価格を負担するように交付金を受け、託送料金を課せられ販売する。尚、電気の取引は単に財務的なことで、それがどうあれ、電気の物理的な流れは変わらない。
この回避可能費用を埋め合わせている17円/kWhの賦課金が何かというと、一極集中発電所から末端の需要家まで送り届ける費用でないならば、総括原価方式の中で共に公表されず埋没しているという点で、停止中の原発を維持する費用、年1.4兆円に充当されている。賦課金の意味の無い賦課金である。固定買取価格が電気料金以下になった今後は、この無意味な賦課金のためだけにFITが有る。
再エネ発電所が、電気を送配電線に乗せず需要家に直接売れば、回避可能費用を埋め合わせている17円/kWhの賦課金は無くせる。電気料金で売り、固定買取価格との差の交付金を発電所が受け取る。発電所が電気自動車に給電すればこれが出来る。間に新電力が入っても良い。その場合は送配電線に乗せないから、新電力は託送料金を掛けられず受け取る交付金は埋め合わせの賦課金だけ少なくてよい。
太陽光発電だけ取ってみても、埋め合わせの賦課金は37兆円と膨大な金額である。この内、発電所ごと買取の期間20年間の今後の発電分について、電気自動車に給電すれば無くなる。既に払った埋め合わせの賦課金、即ちFITが始まって8年間で10兆円とすると、残り27兆円程が、電気自動車に給電することにより減らせるチャンスがある。
埋め合わせの賦課金37兆円の算出過程は以下の通りである。
太陽光発電の固定買取価格は、産業用が40円から始まり今18円/kWh(住宅用が42円から今26円/kWh)に推移していることから、今まで認可され稼働する設備の買取の平均価格を31円/kWhとしよう。賦課金は回避可能価格9円を越える22円/kWh。埋め合わせの賦課金17円/kWhはその77%。今までの設備の賦課金の77%、固定買取価格が電気料金以下になった今後の設備については全部が埋め合わせの賦課金である。
2017年に電力中央研究所が買取りの終わる2050年までの累積賦課金額を69兆円と試算している。この内、太陽光は45兆円としよう。内、今後、認可稼働する設備分を10兆円としよう。この全部とこれを除いたものの77%が埋め合わせの賦課金で37兆円 [(45−10)x77%+10 ]。
FITを外れ買取期間が終わった後も、国民に直接売ることである。何故かを、FITに触れながら述べる。
固定買取価格の元になる「各再エネ発電コスト」は、エネルギー長期受給見通しの中の「電源種別電気コスト比較」と当然ながら算定の諸元は互いに整合している。資源エネルギー庁はその長期受給見通しやその前に行われる基本計画の策定において、原発とエネルギーの特質が競合し代替的な再エネ、中でもポテンシャルが十分で二者択一にもなりそうな太陽光はコスト競争力が極めて劣るという議論を展開した。太陽光のコストは恣意的に高く算定され、それが元になる固定買取価格も高くなった。一部のメガソーラー業者の利益誘導に引っ張られたただけではなかった。
2012年に制度開始して3年ぐらい、この甘すぎる買取価格を察知した事業者が設備認可を求めて殺到し、高い買取価格、つまり賦課金の大きい設備が制度を通して偏って多く占めるに至った。製造技術向上や量産効果による設備費の低下に連れて着実に普及すればよいものを、大規模ソーラーの正に無用に早すぎる設置により、20年間の冗長な賦課金の支払いを背負い込んだ。国民には太陽光のコストは高くて原発には置き換われないと思わせるに十分なほど高い価格で、賦課金を負担する立場でもある個人の住宅用太陽光の普及は停滞している。
固定買取価格は、設備費等総コストを稼働する期間の売電収入で回収できる、発電量当たり単価で決められる。収入や支出の現在との時間差は割引率で調整される。この割引率による割引額が利潤である。
尚、コストの比較においては、収入の割引額の利潤(これを資源エネ庁はIRR相当と言っている)を除く。FIT対象ということで収入に加えたインセンティブを原発の立地交付金等と同列に政策経費コストとして扱うなら、IRR相当からその部分を抽出したものだけである。もっとも、IRR相当全体が他エネルギーの利潤、即ち電力会社の利潤を越えない範囲ならば無視してよいものである。
太陽光の、燃料と運転業務を要しない低いリスクを全く考慮しない高い割引率、産業用の設備認定から着工までの約3年の間に起こる設備価格の急低下を見落とした設備費が諸元とされた。
固定買取価格を高くする恣意性の最たる諸元が稼働期間である。稼働期間を関係事業者からのヒアリングという安易な方法で、あろうことか産業用買取期間と同じ20年とした。太陽光の発電耐用年数はメーカーの25年や30年の発電量保証期間や過去の設備から考察して35年としても決して長くはない。太陽光初期の技術で設置された長崎県尾上島灯台(シャープ1966年設置)、奈良県壷阪寺の観音像の照明(シャープ1983年設置)、千葉県佐倉ソーラーセンター(京セラ1984年設置)が今も立派に発電している。
前提の稼働期間を超えて発電される電気が有り、その電気を当初、勘定に入れず算定された固定買取価格はその分嵩上げされ賦課金を増やす。従って、前提の稼働期間(20年)の後の電気は、その賦課金を既に負担し終わった国民のものである。
電力会社の買取期間(20年)経過後の買取価格は、固定買取価格から交付金が外れた、即ち負担していた価格と同じ回避可能費用の9円/kWhとほぼ同じ価格になるらしい。これでは国民の財産をメガソーラーと電力会社で山分けするようなものだ。国民に、より低廉に発電所が電気自動車の補給を通じ売れば、太陽光発電の耐久能力が実力通り生かされ払い過ぎた賦課金が国民に還元される。
住宅用の太陽光の買取期間は10年で2019年から早速,、買取価格が9円/kWhになるものが出始める。発電者にとり2019年問題と言われ憂慮されている。しかし、この方針が出る前までは、買取期間後の買取価格は当時の買取の一般的価格の電気料金で固定価格の算定に織り込まれている。
2002年からのRPS法では、電気料金で買い取られていた。2009年に始まった住宅用太陽光の買い取り優遇制度でも、その電気料金に10年間、色を付けるというものだった。2012年、全量買電制度が始まった時から電力会社に何の負担もない回避可能価格になったが、買取期間後の買取価格とは切り離されていた。
原発が止まり電気を補おうと自宅の屋根に設置した国民の代表が損してまで、電気が足りてもなお原発を保持する電力会社を支援することになる。21年目以降は産業用と同様、広く国民に還元するのが正しい。充電器を付けマイカーに補給して自家消費を増やし、それでも余剰の電気はご近所の電気自動車にも売ればよい。11年目からは出来るだけ電気料金に近い価格で、そして21年目以降は低廉な価格で。
2015年の「エネルギー長期受給見通し」策定において、福島事故を起こしても尚、原発を継続する理由として、資源エネルギー庁はCO2削減、自給率、コストの三つ、即ち3Eにおいて原発が電源種の中でトップであることを上げた。前回2010年策定時の3Eに加え、安全性のSにより、事故コストを原発のコストに見積もり、策定方針を、民主党政権発足時の高いCO2削減目標における原発の推進から必要最小限に変更した。具体的にはゼロエミッション電源、即ち原発と再エネを合わせた比率70%を44%に下げ、内、原発が3Eでトップだから2030年20〜22%どうしても必要とした。3.11後原発ゼロの期間が有ったにも拘らず、前年の2014年に策定されたエネルギー基本計画でも原発はベースロード電源として位置付けられているからと、原発をゼロでいけるかどうかという定量的な議論・検討は一切無かった。
この時、資源エネルギー庁はCO2削減では、自然条件によって出力が大きく変動し調整電源として火力を伴う太陽光と風力は削減効果が火力に打ち消され、原発には置き換われないと断じた。そして、自然条件に左右されない地熱・水力・バイオを原発に置き換わる再エネとした。発電が常にフラットな原発をのこぎり刃状に変動する太陽光、風力で直接置き換えようとするなら資源エネ庁の言う通りであろう。しかし、原発は火力を一定発電で置き換え、太陽光と風力は変動発電で火力を置き換え、それぞれCO2を削減する。後者の変動を調整し吸収するのは、元々残っている火力他の電源と変動する需要そのものである。この吸収の幅を一定発電しかできない原発が狭める。というだけの話である。
別の説明の仕方をすると、原発は一定発電しかできず、夜の余剰電気は揚水式水力で吸収し、昼の高い需要を火力で補っていると言える。太陽光・風力を火力で調整しなければならないことと何の違いが有ろうか。柔軟に発電量を操作出来ない電源は、どの道、それが出来る電源に補完され大変さは同じである。太陽光・風力にCO2の出ない揚水発電による調整も可能だ。だから、CO2削減を原発が出来、太陽光・風力は出来ないというのは詭弁である。
尚、この揚水式水力はコストもシェアも再エネとしてカウントされていることは、原発シェアを伸びやすく働く。
そして目的のエネルギーミックスは、発電設備構成でなく発電量の構成である。結局、系統安定の技術や費用の違いは有るにしても、置き換えは出来ないというのは間違いである。単に太陽光・風力よりも原発を選択したいと言っているにすぎない。
原発がCO2より悪い放射能他の危険物質や温排水を放出することは一顧だにされなかった。太陽光の環境問題は避けるべきでも、原発のように取り返しのつかないように自然を破壊するものではないことはミックス論議で踏まえておくべきことである。それに住宅の屋根はいっぱい空いている。
出来た電気を送電線に送り込まなければ、変動の調整はもちろん送配電容量も不要で系統を不安定にすることもない。自動車の動力補給は毎日でないし、1日では日照時に多く、電気自動車は太陽光のピーク電力を掬い取る。こうして電気自動車全体で巨大な蓄電池の役割を果たす。しかも、後で関係するが、移動できる、電気を運ぶことの出来る蓄電池である。足りない時は買電によるものの、分岐の売電メーターにより発電所から電気自動車に直接補給し、自家消費を除いては全てが送配電線に送り込まれる電気量は逓減することができる。こうして、電気自動車が太陽光と風力の送配電線にかける負荷の問題を解決し、一気に電源比率の上の制約から解放される。
資源エネルギー庁に有無を言わせず太陽光と風力はクリーンさが100%生かされ環境のEで原発を凌ぎ、原発に置き換わりうる。
元々、火力の輸入を増やすことはないので安定供給のEでも原発を凌ぐ。送電網に頼らない完全に分散独立した電力となり、一基が事故を起こせば全てが止まる原発の対極に至り、国内における供給安定性で原発を遥かに凌駕する。
原発のコストは、不確定で、長期的で未知で、金額換算しにくいものがたくさん有る。現世代に電気料金として請求できるものに限らざるを得ない算定されるコストには、これらの多くが捕捉されないで有る。洩れたコストは将来世代に付け回されるか、支払われない賠償金のように代償されないだけで無くなりはしない。資源エネ庁は社会的理解を得れば無くせると言う。分からない放射線の影響に人が不安に思うのもコストである。除染が済んでも帰還者の少ないことから、ひとたびの汚染は土地の喪失であることに気付く。除染費ではもちろん、放射能の及ぶ長い時間から見れば借地権に過ぎない現世代への土地代なぞで、土地の汚染コストが代償されるべくもない。
原発の建設費は、4.4千億円で見ていたものが、今では安全対策費の上昇により1兆円を超える。資本費において、発電1kWh当たり、太陽光とほぼ同じになった。洩れたコストも含め、それ以外の費用の差が両者のコスト差となる。運転維持費と燃料費は、住宅用太陽光に至ってはほぼゼロであることを見れば、太陽光は高く原発は低く歪められれるコストの本当の所を知るに、この一事で十分である。
この原発の動かした時と停止している時の少ないコスト差が、我々を再稼働に駆らせる。廃炉しようにも今すぐ、減損費も含めお金も技術も無く、他にしようがないから停止のままでいる原発を少しのコストをかけ事故が無いだろう運転できれば、原発停止を補い代替している火力燃料費1.5兆円を削減出来、電気料金を抑えられると考える。しかし、原発のこの少ないコスト差も電気料金の上でのことで、真実ではない。電気料金の前提の核燃料サイクル方式では、コスト差の太宗の燃料費と廃棄物処分費はプルトニウムという資産に棚上げされ打ち消される部分が大きく、しかも、安価神話と料金規制により金額は抑えられている。何よりも、核廃棄物を処分地として国民がすんなり受け容れる前提である。しかし、核燃サイクルは破綻し再稼働すれば、外国に依存する燃料を消費し、国民の誰もが引き受けを断るほど、10万年も掛かり続ける程、膨大な処分費が掛かる使用済み燃料を、運転の都度、間違いなく生み出す。
原発のコストの話をする前に、我々は原発の真実のコストを捉えていない電気料金に全面依拠することによって、原発の真実のコストを補償できない心の底の在悪感を補償していることに気付かねばならない。
本来ベースロード電源とは、指令に応じて出力を変えられないものを言い、原発や太陽光や風力がこれに当たる。ミックスに含めたらベースに置くしかないといううに過ぎず何か必要性を示すものではない。資源エネ庁の言うベースロード電源の定義、コストが安く一定発電するものとしても、原発のコスト安が嘘だと分かった今、ベースロードだから原発がミックスに無くてはならないとはならない。指令に応じて出力を変えられない欠点を、CO2削減で太陽光・風力だけ殊更論い、ベースロード電源では、原発だけ逆に長所のように言う。限界費用がゼロの再エネを如何に捨てずに無駄なく使うか大事でベースロード電源という考え方は非現実的である。
原発は三つのEの二つで最悪で、どれ一つとして原発を保持する理由がない。
長期受給見通しにおける方針の一つに、「自然条件によって出力が大きく変動し、調整電源としての火力を伴う太陽光と風力は、国民負担抑制とのバランスを踏まえつつ、電力コストを現状よりも引き下げる範囲で最大限導入することを見込む」ということがあった。この結果、太陽光は2030年発電比率7%とされた。これは前年の2014年に系統接続保留問題を引き起こした設備認可量71百万kWとほぼ同量であった。この方針の意味は、原発に置き換わり得ないと決めた太陽光・風力は賦課金を含めてのコストが電気代を下げるように寄与しなければ、これから策定する発電比率を上限とするということだろうか。だとしたら、20年間続く初期の冗長な賦課金と回避可能費用を埋め合わせる賦課金はどうせよというのだろうか。2017年で、2030年の7%を既に導入量で7割強達成し、認可未稼働分を含めれば優に超過する発電比率は、今後12年間、一部認可を取消し、新たな設備認可はゼロか。
太陽光の原発を代替するポテンシャルの伸びは我々の予想を遥かに越える。今は太陽光発電コストは外国メーカーパネルを使えば産業用で10円/kWhを割っている。因みに長期受給見通しでは2030年にやっと14円/kWhだった。さすがに固定買取価格も産業用が既に電気料金を下回り住宅用がほぼ同一水準まで下がった。これからの太陽光電気は送配電線に乗せなければ賦課金は全く無い。電気料金を遥かに下回る安さを生かした価格設定が自由に出来、新増設すればするほど自由化された市場における電気料金を引き下げる。電気自動車に給電すれば、送配電やピーク余剰の問題もなく、エネルギーミックスの太宗を占めることもできる。
大手電力会社が未稼働の原発の送電線枠を予め設定して再エネ発電事業者の連系を拒否する事態が起こっている。未稼働の原発の枠とは長期受給見通し2030年原発比率20〜22%を見越しているのだろうか。この値は、廃炉決定済みの16基の炉を除く41基の内、2030年運転期間40年未満のもの18基と運転期間を40年から60年に延長するもの12基、計30基でやっと達成できるものである。新増設の一歩手前である。電気が余りこそすれ不足の心配は無く7割の国民が原発に反対し一基とて再稼働がままならない。正に今、未達どころかゼロになるかもしれない原発比率を補う心配をしなくてはならない時である。資源エネルギー庁がその頓著すらしないのは将来、CO2削減上の電力不足を持ち出した時、廃炉しないで待ち構えて居さえすれば必要な原発の再稼働が許されると思っているのだろうか。
水力、地熱、バイオは原発ほどでなくとも国の御膳立てが必要で、設備やパーツの量産効果を狙うFITに丸投げしていては進まない。更にバイオの設備利用率低下による未達を太陽光を中心に担わなければならない。電気自動車の動力需要の純増もある。今、正に設備化或いは稼働されようとする再エネ発電所の芽を摘まないことが、如何に大事なことか。
資源エネルギー庁が何が何でも原発と言うのであっても、或いは送電線空容量不足が電力会社が言う通りと仮定しても、再エネに原発が送電線で締め出される心配は無用だ。何故なら、賦課金の過重に耐えきれず、また原発に反対し環境プレミアムを払っても純粋無雑な再エネを購入したい国民が、電気自動車で再エネ発電所に電気を直接、補給しに行くようになるからである。こうして電気自動車の普及の進展に連れて再エネ発電所の送電線利用量は消滅に向けて漸減していく。再エネの新たな連系に当たっては、制約なく解放し思う存分、伸ばさせておかなければ、福島直後、あれだけ心配した電力不足が遅れて現実のものとなる。
自動車メーカーは給電スポットを全国津々浦々に作り電気自動車にクリーンなエネルギーを給電したい。新電力は法外な託送料金と供給量確保に苦しんでいる。再エネ発電所は自動車メーカーに充電器を付けて貰い、新電力に買取仲介して貰い、自動車のソーラー充電スタンドを運営すれば良い。
電気自動車と住宅用太陽光は先行する米国を見てもシナジー効果は抜群である。屋根からの太陽光電気をマイカーに補給するだけでなく、マイカーに充電した電気を家庭に補給することも出来る。更に、ご近所のお宅の電気自動車にも給電してあげられるよう、新電力と自動車ディーラーにお客様との取り次ぎをして貰えば良い。住宅用太陽光はメインテナンスは不要だし移設技術も進化しており、日本全国の住宅の屋根等のスペースはいくらでも開いている。電気自動車は家庭用を始め民生用の電気も送電線に成り代り運ぶことができる。
2018年1月4日木曜日
宗教団体は原発に反対を。
立憲民主党が原発を今すぐ廃止する野党統一案を提示しました。小泉元首相と吉原さんも同様なものを既に出しています。国民の多数の思いが実現する機運が高まってきたように感じます。小泉さんのような首相経験のある人が言ってくれれば本当に心強いことです。
私の郷里の岡山では「原発は仏教に反する」というスローガンで反対運動している住職達の集まりがあります。原発が世の全ての宗教の宗旨に反することは明らかなのではないでしょうか。政治に宗教が関わることは良しとされませんが、原発の是非は政治問題ではありません。人間の生き方の問題です。宗教団体は反対の運動に時間を割く必要はありません。ただ、人間の生き方を説いてきたように、国民の皆が宗教の宗旨からもやはりそうなんだと後押しされるよう原発反対の表明を広くしてもらいたいと願います。
私の郷里の岡山では「原発は仏教に反する」というスローガンで反対運動している住職達の集まりがあります。原発が世の全ての宗教の宗旨に反することは明らかなのではないでしょうか。政治に宗教が関わることは良しとされませんが、原発の是非は政治問題ではありません。人間の生き方の問題です。宗教団体は反対の運動に時間を割く必要はありません。ただ、人間の生き方を説いてきたように、国民の皆が宗教の宗旨からもやはりそうなんだと後押しされるよう原発反対の表明を広くしてもらいたいと願います。
2017年12月31日日曜日
改憲論議よりも原発廃止を
国のあるべき形と外国の脅威への対処を政権が広く国民に議論してほしいという改憲案は、如何わしさのみを感じてしまいます。
何故なら、物事には解釈を変えた後に文言を加えたりすると、前に変えた解釈との関連性を見過ごし何でもない文言の付加が思わぬ影響を及ぼし、あ、しまったという事があるからです。
原発の継続が安全神話の崩れた後は事故が起こる事を止む無しとしている限り、避難訓練やヨウ素剤まで配布してまで運転する限り、自明的に憲法の基本的人権を侵しています。選挙で原発政策が国民に信任されたなどと、国民投票は眼中にありません。このようなことを放ったらかして何が改憲でしょうか。北朝鮮のミサイル攻撃に対しては、原発の防備対策は何一つしないでJアラートばかり出して、国民の安全を何かの出汁にしているしか思えない。
国民の7割が福島事故以降ずっと変わらず原発に反対しており、今更、政府がしゃにむに論議の必要性をアピールするまでもありません。
原発は今後事故が起こるたびに事故の収束はもちろん原発是非の議論は避けられません。既にある使用済み燃料を子孫に残すのはやむを得ないでしょう。しかし、これから繰り替えし迫られる是非の意思決定の負担まで子孫に残す怠惰は、今生きている人達には許されません。
何故なら、物事には解釈を変えた後に文言を加えたりすると、前に変えた解釈との関連性を見過ごし何でもない文言の付加が思わぬ影響を及ぼし、あ、しまったという事があるからです。
原発の継続が安全神話の崩れた後は事故が起こる事を止む無しとしている限り、避難訓練やヨウ素剤まで配布してまで運転する限り、自明的に憲法の基本的人権を侵しています。選挙で原発政策が国民に信任されたなどと、国民投票は眼中にありません。このようなことを放ったらかして何が改憲でしょうか。北朝鮮のミサイル攻撃に対しては、原発の防備対策は何一つしないでJアラートばかり出して、国民の安全を何かの出汁にしているしか思えない。
国民の7割が福島事故以降ずっと変わらず原発に反対しており、今更、政府がしゃにむに論議の必要性をアピールするまでもありません。
原発は今後事故が起こるたびに事故の収束はもちろん原発是非の議論は避けられません。既にある使用済み燃料を子孫に残すのはやむを得ないでしょう。しかし、これから繰り替えし迫られる是非の意思決定の負担まで子孫に残す怠惰は、今生きている人達には許されません。
2017年10月2日月曜日
日本は北朝鮮と対話できない
原発の輸出をやめない、再稼働を諦めない、核兵器禁止条約に署名しないから日本は北朝鮮と対話出来ない。非核の理念に沿い北朝鮮と米国との間を調停しようとしても、平和と安全主義を放ったらかしに、自国の経済や世界でのポジショニングに没頭しているからできない。
それどころか、政権は日本も軍拡、核保有の方向へ進めば良いと危機を利用しているようにさえ見える。Jアラートは出しても原発を対策しないのでは、単に危ない振りにすぎないではないか。
紛争や核拡散の脅威の当事国に対話のアプローチすらできないのに、憲法9条を持することが如何におこがましいことか。9条を持するからには日頃からそれなりの国の構えと態度が必要なのである。生易しいことではない。安倍首相は日本憲法の覚悟というものに思いを至してほしい。
それどころか、政権は日本も軍拡、核保有の方向へ進めば良いと危機を利用しているようにさえ見える。Jアラートは出しても原発を対策しないのでは、単に危ない振りにすぎないではないか。
紛争や核拡散の脅威の当事国に対話のアプローチすらできないのに、憲法9条を持することが如何におこがましいことか。9条を持するからには日頃からそれなりの国の構えと態度が必要なのである。生易しいことではない。安倍首相は日本憲法の覚悟というものに思いを至してほしい。
電気自動車が世界を救う
(1)
東日本大震災後、太陽光発電を始めた。原発停止による電力不足を補えたら、さらにこのまま原発を運転しないで済めばと祈ってのことだ。屋根、デッキの屋根、RC擁壁に付け、発電能力は8キロワット。設備費をソーラーローンで借り入れ、固定価格買取制度の売電収入で返済している。
固定買取価格の内、電力会社が本当に負担する価格は賦課金が原資の補助金を外したものであるが、これは10円を下回る。電力会社の仕入れコストが再エネを買取る前と変わらないように決められるからだ。再エネを受け入れることで回避される火力エネルギーの仕入れ値になる。
屋根で太陽光発電され、屋内で自家消費された残りの余剰の電気は、ご近所で現にすぐ使われている。発電された電気は近い負荷から順に消費されるので当然である。屋根上のパネルで発電された直流の電気が室内のコンディショナーで交流に変わった所ですぐ使えるので太陽光電気は少なくとも電気料金の価値はある。ご近所の消費するその電気を、財務的に形だけ電力会社があたかも自分の大規模発電所で電気をつくるかのように火力エネルギーの仕入れ値で買い取り、再び末端の顧客に電気料金で販売する。長距離の架空の送配電費用を乗せて販売しているも同然だ。我々が新電力を選んでも電力会社と一体の送配電事業者が太陽光電気に送配電費用を載せる。この買取の費用と販売の収入の差額は正に賦課金が原資だが、原発が止まっている時のコストの補填に利用されている。総括原価方式の元、結局、表に出ない収入が表に出されないコストを補填するからだ。
この利得を秘し、経産省と電力会社は原発のベースロード電源を見直せば殆ど緩和される太陽光発電電気の天候変動電源の欠点を殊更に言い募り、義務を嫌々果たすかのように買い取る。一方で稼働もしていないベースロードの原発の枠を確保した上で送電線の容量が無いという理由で大規模の太陽光発電所の連携を断ったりする。
膨大で厳然たる原発の止まっている時のコストが曲者である。この止まっている時のコストを度外視することから原発の高コストが晦まされ、この停止中コストを無くそうとして再稼働に走る。
原発の燃料は、使用後、将来プルトニウムにリサイクル使用できる使用済み燃料として資産評価されるので、燃料コストの比率は20%と少ない。冷却等の定常維持費が膨大である。従って変動費の割合が小さく固定費が高く、稼働してもしなくても殆ど変わらない程のコストがかかる。従って、稼働率の高低が直接、コスト単価に影響する。
事故が起こるたびに全原発が止まる。経産省の原発のコスト単価試算には事故自体のコストは見られてもそれが他原発の停止を余儀なくさせ、原発全体として稼働率を大きく低下させることは織り込まれていない。つまり、この膨大な事故による停止中コストは見られていない。原発継続如何を再稼働如何に問題を矮小化しすり替える限り、電気が十分足りても、停止中コストを運転中コストに変えた時の代替火力の燃料代の如実な節減効果の誘惑に駆られ再稼働を容認してしまう。
原発に取って代わる目的のあるはずの再エネが、自分の価値を貶め、その分国民が埋め合わせた賦課金で原発の再稼働に備えた停止中コストを晦まし原発の命脈を繋ぐというおかしなことが行われている。
今政府は安全神話を引っ込めて事故が起こることを容認してまでも原発をやっている。そんなことでは、賠償・除染コストと廃棄物貯蔵の困難を負担しろと言っても国民が応じるわけがないではないか。
もう一つの道があることに気付いてほしい。「原発をもうこれっきりにする」のだ。その上で、廃棄物貯蔵と廃炉等の負担の理解と協力を仰ぐことである。
電力会社の買取販売差益は電気料金1kwh25円の内、少なくとも15円相当だ。太陽光発電の固定買取価格は、住宅用42円から始まり今28円/kwhに推移している(産業用40円から今21円/kwh)ことから1kwh当たり平均を32円としよう。15円はその47%に当たる。2013年の経産省試算から買取の終わる2050年までの太陽光買取累積総額を64兆円としよう。これの47%は30兆円だ。原発停止中の費用が毎年1.2兆円と試算されている。30兆円は、その25年間分になる。従って、止まった54基の原発の殆ど全てが寿命を全うするまでのコストを賄い余りある。
太陽光電気の固定買取価格の半分近い、総額にして30兆円の賦課金が投資促進のためでなく、ただ原発維持のために使われる。
(2)
おりしも、仏英や中国は電気自動車を全面的に普及させる方向だ。日本も続くだろう。電気自動車が使う電気は国の電力需用量を追加的に増やす。仏は原発で賄う。中国は石炭(注1)。チリは太陽光、コスタリカは再生可能エネルギーで供給する。日本は、CO2削減を完遂するためCO2を出す火力では意味がない。地震とミサイル被弾の危険のある原発もいけない。
電気自動車を購入或いは予定する人は屋根に太陽光パネルを設置し直接、将来のマイカーに電気を補給するのだ。さらには、電気自動車を蓄電池代わりに利用し自家消費を最大限増やすのだ。
車の未来だけでなくその動力の未来をも丸ごと形作るエネルギーモデルが形造れるよう国も自動車業界と共に推進してほしい。今の私の心からの願いである。
電気自動車の隠れた特質は、動力である電気を発電所まで受け取りに行けるということだ。これにより、地産ができている電気の地消がいとも簡単に出来るということだ。
電気自動車の動力源となる太陽光発電電気を地消、即ちオフグリッドで使用、つまり送電系統に繋げない直接給電したり自家消費が今すぐできるのは、住宅用太陽光だけだ。
住宅用太陽光でそうしなければならない理由は,電気自動車とのシナジーで地産地消が成るということだ。地産地消ということは、送電コストはかからない。変動電源の送配電線への負荷もかからない。ということだ。
一つには、国民の賦課金の負担の過酷を緩和するためである。
今後25年、電気自動車の台数を乗用車数6,000万台の6割まで伸びるとし、その途中の中央値2030年3割となるとし1,800万台としよう。1台の年間走行距離を9,000kmとすれば、電気自動車の電費は約9km/kwh(注2)なので増加電気量は年1.8百億kwhになる。これを太陽光発電で作り、電力会社へ売電する限り電力会社の買取販売差益はkwh当たり15円なので、買取価格が電気料金を下回ろうと拘らず毎年2.7千億円の賦課金または電気料金増加を生ずる。25年間で区切っても6.7兆円にも上る原発を維持すること以外には何の役にも立たない新たな賦課金等を生む。
固定価格買取制度が膨大な賦課金の付けを国民に科したのは、二つの点で失敗したからである。一つは固定買取価格の冗漫な設定、二つは制度の費用負担する者と投資を誘発される者との乖離である。この失敗を招いた国は、今から救済措置をとる責任がある。
無駄な賦課金は上に述べた電力会社へ供与している買取販売差益だけでない。国は太陽光発電を原発の手前、過小評価する。20年という買取期間ありきの短い稼働年数に依れば当然、高い発電コストで高い固定買取価格になる。その嘘を察知できるメガソーラー等の企業が、ここぞとばかり割安な外国製パネルを使い殺到するように設備投資した。制度の狙いは、原発が止まった中で停電を来さない限り、量産効果により、設備費と固定買取価格の相俟った漸減に伴う着実な普及だった。それとはかけ離れて無用に早すぎる産業用の普及或いは認定だった。その結果、電気は十分足りていたのに高い賦課金を要す初期 の冗長で高い価格で20年間買取続けなければならない。原発を継続したいため、太陽光発電の将来の凄まじい価格低下のポテンシャルは一顧だになされなかった。因みにこの普及の無用の前倒しは、電力会社にとっては無用どころか特に事故直後の数年、一息つくのに絶好だった。
一方、個人の住宅用太陽光は、10年の買取期間の経過した後の不安や経済性の誤解により伸びず今ではメガソーラー由来の再エネ中突出した太陽光の賦課金の抑制施策と自然破壊問題の煽りを受けている。政府と電力会社の失敗を救う賦課金を払うのは何も責任のない国民個人である。国民の負担を冗漫な固定買取価格を通じ、賦課金負担のない企業を無用に潤している。それに制度の投資誘発構造は負担する者が同時に誘発される者である時、漏れなく重複なく働く。国民が将来背負うことになる賦課金の負担は過酷すぎる。国は、個人を救済する責任がある。今こそ個人の住宅用太陽光を推進し、後続する電気自動車との相乗的な効果により、新たな賦課金を生むことなく、電気自給の経済性メリットを国民個人に享受させることにより、国民の賦課金の過重な負担を和らげなければならない。
(注1)佐和隆光氏は、増加する電気を石炭発電で賄ったとしても、トータルな
CO2排出量は電気自動車がガソリン車の38%、ハイブリッド車の50%と
定量化している。
出所:"What electric vehicles portend for the future"
(2017.10.25 Japan Times)
(注2)奇しくも、電気自動車の実電費とガソリン車の実燃費の数値が10km弱で
近似している。従って、両者の動力の経済性比較は電気1kwhとガソリン1L
の価格比で殆ど説明される。電気料金25円/kwhとして電気自動車はガソリン車
(ガソリン125円/L)の 約5分の1。屋根上の太陽光電気を自給すれば、
10分の1。
二つには、予想を遥かに越えて増加する太陽光発電の系統安定性の問題を解決するためである。
太陽光発電コストは既に圧倒的に優位である。さらに、システムの移設技術研究や補助金制度、高齢者へ売電収入の担保価値で十分とした10年低利融資などの措置、収益目的でなく税務上埒外の明確化等、政府は住宅に設置してもらうにはどうしたらよいか、考え実施すべきである。
(注3)日本の総電力需要量は約1兆kwhでその1%は約百億kwh。
(3)
小宅の太陽光の発電能力は8kw。小宅の電気使用量を発電能力で言えば、生活用電気はオール電化で5kw、これに電気自動車への給電分1kwを加え6kwになる。生活用電気の6kwを電気自動車を蓄電池代わりに使い全て自家消費しても、まだ2kw(年間発電量2,200kwh)(注4)余剰になる。これは、ご近所の電気自動車2台分の消費量だが、小宅まで取りに来て頂ければ無償で給電してあげたい。(注5)
その内、屋根に限らず日本中に分散している多くの太陽光発電所に、近隣或いは通りすがりの電気自動車が電気を受取りに行くのが普通になる。何故なら、日本でさえもう太陽光発電のコスト単価はグリッドパリティー即ち電気料金の半分以下になっているからだ。これからさらに下がる。(注6)消費者はこの単価が電気料金に化ける前に買おうとする。発電所の方も電気料金近辺で売れれば喜んで応ずる。原発電気の混ざらない純粋な太陽光電気にプレミアムを払う人も多いだろう。今、急速充電の技術に世界の自動車メーカーや電機会社がしのぎを削る。容量、充電速度、安全性の全てで画期的な全固体電池の実用化も遠くない。
電力会社は買取る再エネ電気が減り、止まっている原発を維持することが難しくなる。原発に反対する7割の国民が太陽光発電所から直接受電して、原発電気の混ざる電気を行動として忌避できる。電力会社は再稼働した原発を再び止め、全原発を廃炉せざるをえなくなる。
(注4)JIS条件下の放射照度1,000w/㎡の太陽光を16%の変換効率ならば160w/㎡の電気
に変える。面積1.56㎡のパネル一枚で公称能力250Wとなる。
1,000w/㎡の放射照度を1日あたりの時間積算した照度は年平均で
約3.5時間 x 1,000Wである。
(3.5kwh/㎡・日を「平均傾斜日射量」という、パネルの傾斜を織り込み)
この時 、公称能力250Wのパネル4枚の公称能力1kwの1日あたり年平均発電量は、
この積算時間による3.5時間 x1kw(=3.5kwh/日)にロス(約15%)で減殺され
3.0kwh/日となる。
この時、稼働率は3kwh÷24kwhで12.5%であり、公称能力1kwの年間発電量は
約1,100kwh(3kwh/日x365日)になる。
(注5)小宅の電気自動車は旧型でバッテリー(蓄電池)容量は24KWで24kwh貯めら
れる。1日の充電(3kwh/1KW/日x9KW)でほぼ満タンになる。月5回(日)
充電し、残りの晴れた日にご近所の電気自動車2台の給電や、蓄電池としての
使用ができる。
(注6)住宅用単価 kwh当たり11円から15円、設備費でいうと1KW当たり23万円
から32万円( 産業用8円から12円/kwh、15万円から23万円/KW )。
国の力の入れようによっては、まだまだ下がるだろう。世界的には低い例で
UAEが6円/kwh、サウジアラビアが3円/kwh、メキシコが2円/kwh.。
2017年10月1日日曜日
原発をやめなくてはいけない理由
原発は、そのもの自体の安全性よりも、放射能の影響が未知だから止めなくていけない。放射能漏れが起これば影響対応ができないから止めなくてはいけない。だから、安全神話が解け事故想定したから動かせるというものではない。
今まで安全神話に遠慮して心置きない放射能の研究と事故時の放射能対処を怠ってきた。それを改めても、原発の安全でさえ手に負えそうにない人間に放射能の影響が把握できるわけがない。
安倍首相、あなたの今の名声は必ず悪名に逆転します。いつか、それは原発事故が起こった時です。
今まで安全神話に遠慮して心置きない放射能の研究と事故時の放射能対処を怠ってきた。それを改めても、原発の安全でさえ手に負えそうにない人間に放射能の影響が把握できるわけがない。
安倍首相、あなたの今の名声は必ず悪名に逆転します。いつか、それは原発事故が起こった時です。
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